更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます》
前出・所さんはこの発言に「そこまで配慮されているのか」と驚いたと話す。
「昭和天皇のご闘病が111日間続いた時、国民の気持ちが暗くなり、悲しみに沈んだことを思い出します。崩御後の1年間も、かなりの行事や催し物が中止されるような自粛が続きました。
それは昭和天皇に対する敬慕と哀惜の表われですが、CMで“元気”という言葉がカットされるなど、過剰な自主規制も見られました。その結果、国民の日常生活に支障が生じたのも事実で、陛下はこうしたことを、“社会が停滞し”と表現されたのだと思います」(所さん)
昭和天皇が下血され、容体が悪化したのは1988年9月のことだった。そして1989年1月7日に崩御されると同時に、当時皇太子だった陛下が天皇に即位。陛下は1年間にわたる喪儀の関連行事と同時進行で、新しい天皇としての務めを果たさなければならなかった。
《行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません》と述べられた言葉には、とりわけ後を継いで天皇皇后となる皇太子ご夫妻への配慮がにじんでいると、前出・河西さんは言う。
「雅子さまが体調を崩されてからすでに10年以上が経過しています。体調の回復は伝えられているものの、天皇崩御となれば、即位と同時に皇后として一気にご負担が増すことになる。
今の天皇も即位当初は保守的な勢力から“頼りない”といわれ、美智子皇后もバッシングを受けた。天皇のなかには、皇太子ご夫妻は自分たち以上に大変だろうというお気持ちがあり、だからこそ生前退位して、自分が生きているうちにスムーズに皇位を移行させたいという思いがあるのではないでしょうか」(河西さん)
そうした配慮の一方で、象徴天皇の務めに関しては《常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ》と、平成流の天皇皇后の在り方を、皇太子さまと雅子さまにも受け継いでほしいとの思いを語られた。
皇太子さまはJR名古屋駅の貴賓室で、雅子さまは愛子さまと東宮御所で、午後3時からのビデオメッセージをご覧になったという。
小田野展丈東宮大夫は「大変重く受け止めていらっしゃるものと拝察している」とおふたりの思いを明らかにしている。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年9月1日号