皇太子さま一覧

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ご結婚29年を迎えられる天皇皇后両陛下 絆を結んだ「24の愛のお言葉」
ご結婚29年を迎えられる天皇皇后両陛下 絆を結んだ「24の愛のお言葉」
 6月9日に、ご結婚から29年を迎えられる天皇皇后両陛下。ご婚約会見での、「安らぎのある明るい家庭を築いていきたい」という陛下(当時は皇太子)のお言葉通りの家庭を築かれてきた。 ご結婚25年の折には、「家族とは日々の楽しみを分かち合うことは元より、大変なことがあるときには支え合い、またうれしいことがあるときには喜びを分かち合える、かけがえのない存在であると思います」と明かされた雅子さま。いかなるときも常に支え合って歩まれてきたご夫婦の愛と絆の29年を、数々のお言葉から紐解きます。ご公務への想い「限られた時間の中でできるだけ多くのことを一人ひとりの方から引き出していくことができれば、それは最終的には私自身にとっても大変大きな糧となると思っております」(2014年 皇太子殿下お誕生日に際して)「なるべく多くの方と自然な形で触れ合い、お話をすることができればうれしく思います」(1999年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「私たち二人を温かい笑顔でお迎えいただいたことはとてもうれしく、また雅子にとっても大きな励みともなり、有り難く思います」(2018年 皇太子殿下お誕生日に際して)「皆様からかけていただいた声を身近に感じることも多く、国民の皆様のお気持ちは私にとりまして大きな支えになっております」(2018年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「多くの国民の皆さんと直接触れ合うことが 極めて難しくなっていることを、私たち二人も 残念に思っております」(2021年 天皇陛下お誕生日に際して)ご夫婦の絆「私たち二人の場合、できるだけお互い話し合うことにしております」(1999年 皇太子殿下お誕生日に際して)「全力で守っているかどうかということに関しては、私ができることでは、全力でこれを実行しているように思っております」(1994年 皇太子殿下お誕生日に際して)「日常の生活では皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談をするようにということを心掛けております」(1996年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「よく『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』と申しますけれども、喧嘩の種は割とよく拾って食べてくれるような気がいたします」(1998年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「実は犬の方がより良くお供をして。犬はちゃんと走ってお供をするのですけれども、私は自転車でお供をしたり……」(1997年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「共通の関心事を持つことが夫婦の絆を強めることにも貢献しているのではないかというふうにも思います」(1999年 皇太子殿下お誕生日に際して)「愛子が加わります前には殿下とごいっしょして、二人での登山や自然の中での散策、音楽などいろいろな楽しみを教えていただきました」(2018年 ご結婚満25年に際して)「感謝したい点は、まず雅子がそこにいてくれることです。雅子がいてくれるだけで心が明るくなるのを感じます。ユーモアがあるのもうれしいことです」(2003年 ご成婚10年に際して)「お互いによく話し合い、また、大変な時にも『笑い』を生活の中で忘れないように、ということだと思います」(2018年 ご結婚満25年に際して)「結婚10年の折の『努力賞』と『感謝状』のダブル 受賞に加えて、銀婚式に因んで銀メダルも 贈りたいと思います」(2018年 ご結婚満25年に際して)「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」(2004年 デンマーク・ポルトガル・スペイン訪問に際して)「親として愛子のために何をしてあげられるのかという思いで、雅子と共に考え、歩んできました」(2011年 皇太子さまお誕生日に際して)「愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために親として何をしてあげられるのか日々考え、力を尽くしてまいりました」(2011年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)お二人での育児「本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」(2002年 愛子内親王ご誕生について)「おおらかな性格といいますか、皇太子さまに似ましたのか、何ていうのかしら、ゆったりと、どっしりとしております」(2002年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「父親は遊んでくれる相手と信じているようで、父親が寝かしつけようとするとどんどん目が輝いてきてしまうようなので」(2002年 愛子内親王1才のお誕生日に際して)「父親もできるだけ育児に参加することは母親の育児の負担を軽くすることのみならず、子供との触れ合いを深める上でもとても良いことだと思います」(2003年 皇太子殿下お誕生日に際して)「本当に素晴らしいお父様ぶりで、愛子も皇太子さまに大変なついております」(2003年 ご成婚10年に際して)「愛子と3人でいると、私たちの団らんは笑いの絶えない楽しいものになっています」(2022年 天皇陛下お誕生日に際して)撮影/雑誌協会代表取材、五十嵐美弥 写真/宮内庁提供、時事通信社、共同通信社※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.02 19:00
女性セブン
豊かな海づくり大会
天皇陛下と皇后雅子さま 「豊穣なる海への挑戦」40年秘話
 海を守り、育てることは、私たちの生活を豊かにすることにつながる。上皇陛下が皇太子時代から大切にされてきた「全国豊かな海づくり大会」は、昭和から平成、そして令和へと時代が移り変わっても、天皇家の重要な“責務”として受け継がれている。「おじいちゃんが守り、つなげてくれた海を、わたしがつなぐ番」 作文コンクール小学校低学年の部で大会会長賞を受賞した小学4年生の大森心結さんが、自作の作文を力強く読み上げる。会場の大型モニターに映し出された天皇皇后両陛下は、目を細められ、胸元で拍手を送られた。 10月3日、宮城県石巻市で開催された「第40回全国豊かな海づくり大会」。新型コロナの影響で2年ぶりの開催となった。関東地方をかすめた台風16号の影響が心配されたが、石巻には青い空が広がり、さわやかな秋風が吹いた。 大会は、式典で幕を開けた。地元宮城県出身の女優・鈴木京香がナビゲーターを務め、宮城県沖に広がる美しい海と、そこで操業する漁船の漁法や養殖の様子を紹介した。途中、東日本大震災の映像が流れると、観客席から嗚咽が漏れ、ハンカチで目頭を押さえる人の姿もあった。 両陛下は、コロナの情勢を鑑みてオンラインでのご臨席となった。午前11時過ぎ、水色のネクタイに濃紺のスーツ姿の天皇陛下と、鮮やかなブルーの装いの雅子さまが、皇居・御所の応接室に入室されるご様子が式典会場の大型モニターに映し出された。 東日本大震災の犠牲者に1分間の黙祷を捧げ、大会旗入場や国歌静聴などを経て、陛下がおことばを述べられた。《四方を海に囲まれた我が国は、古くから豊かな海の恵みを享受してきました。また、山や森から河川や湖を経て海へ至る自然環境と、そこに育まれる生命や文化は、私たちに様々な恩恵をもたらしてくれます》 5分間にわたって豊穣な海のかけがえのなさを述べられ、その海を守る漁業関係者の努力をねぎらわれた陛下。 そのおことばからは、40年続く「全国豊かな海づくり大会」にかける真摯な思いがうかがわれた。 全国豊かな海づくり大会は、全国植樹祭、国民体育大会、国民文化祭とともに「四大行幸啓」と称され、両陛下が大切にされる主要な地方のご公務とされる。 開催県とともに大会を共催する全漁連(豊かな海づくり大会推進委員会)の大森敏弘代表理事専務が語る。「食卓に安全でおいしい水産食料をお届けするために、水産資源の保護・管理をして、海や湖沼・河川の環境保全の大切さを広く国民に理解いただくとともに、『つくり育てる漁業』の推進を通じて漁業の振興と発展を図ることが大会の目的です。 1981年に大分県で第1回大会が開催され、以降、延期となった昨年を除き、毎年実施されてきました」 天皇家と大会のかかわりは、1950年代に遡る。当時は、戦後の経済発展とともに海浜の埋め立てや開発が進み、有害物質や汚染排水で漁場が荒廃していた。さらに、国内需要の急増で乱獲が生じ、水産資源の悪化が進んでいた。 この状況を解消すべく、1950年代半ばから、水産資源保護の重要性を訴えるため、「放魚祭」という行事が開催されてきた。その第2回に、当時皇太子であられた上皇陛下がご臨席されていた。これが、豊かな海づくり大会の前身となる。「1980年、当時の全漁連会長が東宮御所にお伺いする機会があり、両殿下に『かつての放魚祭を充実させ、皇室のご理解のもと国民的行事として毎年開催し、豊かな海づくりを世論に訴えて参りたい』とお話を申し上げたところ、ご理解をいただくことができたそうです。 その後、宮内庁や水産庁などが協議して、全国規模で毎年開催される『全国豊かな海づくり大会』に両殿下のご臨席を承る方向が示されました。つまり、この大会は、上皇上皇后両陛下のご理解から始まったのです」(大森専務)早朝から胴長姿でハゼを捕獲された 御用邸のある神奈川・葉山や静岡・沼津の海で、幼少期から魚に親しまれた上皇陛下は、魚類研究をライフワークにされ、退位後も皇居内の生物学研究所で研究を続けられている。特にご専門のハゼの分類では世界的な権威であり、今年6月にも新種のハゼ2種類を発見し、論文を発表された。 北海道のサロマ湖で開催された第5回大会(1985年)では、そのハゼをめぐるハプニングが起きた。「大会翌日の早朝に、殿下自ら胴長姿になられ、サロマ湖に生息するハゼを捕獲するために湖に入られたのです。研究のみならず資源の維持に対する思し召しを感じました。 天皇陛下になられるお方が胴長姿で湖に入られることには驚きましたが、大会を活用していただいたことをうれしく思いました」(大森専務) よほど印象深くあられたのか、翌1986年の歌会始で、美智子さまはこうお歌を詠まれた。《砂州越えてオホーツクの海望みたり佐呂間の水に稚魚を放ちて》 広島県で開催された第9回大会(1989年)は、「陛下が海づくり大会に継続してご臨席されるのか注目されていた」(皇室記者)という。「昭和から平成へと元号が変わり、上皇陛下は皇太子さまから天皇になられた。お立場が変わられたことで、皇太子さまに引き継がれるのではないかという見方もありました」(前出・皇室記者) 大森専務が当時を振り返る。「当時の全漁連会長が侍従次長にお伺いを申し上げたところ、『そのことについては何も心配なさらないで結構です。海づくり大会はお上がご自身で持ちあがると仰せられております』とお話をいただいたそうです。会長は『感極まったことは忘れられない』と申しておりました」 琵琶湖を抱える滋賀県大津市で開催された第27回大会(2007年)では、上皇陛下の「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰りました」「いま、このような結果になったことに心を痛めています」というご発言が話題となった。 ブルーギルは、いまでこそ生態系を荒らす外来魚として知られているが、当時は食用魚として有望視されていた。「1960年、上皇陛下はシカゴ市長から贈られたブルーギルを日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈されました。上皇陛下が持ち帰った魚が繁殖を続けたのかは未確認ですが、外来魚に悩まされる漁師たちを心配され、“謝罪発言”をされた上皇陛下の誠実さは聴衆の心を打ちました」(皇室ジャーナリスト) 上皇ご夫妻は、御代がわり前の高知県で開催された第38回大会(2018年)まで大会にご臨席され、全国の漁業関係者を励まされた。アマモは海のゆりかご 漁業の振興と発展を図る海づくり大会にとって、ひとつの転機となったのが、香川県で開催された第24回大会(2004年)だった。 水産庁関係者が『都会の里海 東京湾 人・文化・生き物』の著者で海洋環境専門家の木村尚さんのもとを訪れた。「どのようなものを放流したらいいか、というご相談でした。私は、『稚魚を放流しても、魚が育って増えていくとは限らないので、アマモを育てて、魚が育つ環境を整えることが大切です』とお伝えし、海づくり大会で天皇陛下が子供らにアマモをお手渡しするアイディアを提案しました」(木村さん)「アマモ」は、水のきれいな浅い海の砂地に生える海草の一種だ。海中で花を咲かせて種子によって繁殖する。「アマモは太陽光を浴びて二酸化炭素を吸収し、酸素を放出します。同時に海底から窒素やリンなどの栄養も吸収し、海の環境を守る大切な役割を果たします。アマモが群落になっている場所(アマモ場)は、メバルやマダイなどさまざまな種類の稚魚が育つ絶好の場として知られ、『海のゆりかご』と呼ばれます。 しかし、埋め立てが進み、浅い海が減った現在は、アマモ場が姿を消しつつあり、大きな問題になっています」(木村さん) 豊かな水産資源を育てるには、「海のゆりかご」が必要―木村さんの提言は関係者に受け入れられ、天皇陛下が子供たちにアマモの苗を手渡されることとなった。 2011年、天皇陛下(当時)の葉山御用邸静養中に、木村さんはアマモについて両陛下と懇談する機会を得た。「私は頭が真っ白になってしまって陛下とどんな会話をしたのか覚えていませんが、上皇后さまが『陛下はアマモに関して真剣に取り組んでくださっています』と仰せられたことは覚えています。うれしかったですね」(木村さん)さかなクンは「ギョギョギョ!」 令和元年。秋田県で開催された第39回大会には、現在の天皇皇后両陛下が初めてご臨席された。 その際、天皇陛下はこんなおことばを述べられた。《私自身、以前に鳥海山に登った折に、鳥海山の雪解け水がブナ林を養い育て、伏流水となって山麓の田畑を潤し、やがて日本海に注いで良質なイワガキを育んでいると聞き、山と海、そして人間との大切なつながりを感じたことを思い出します。 このような豊かな海の環境を保全するとともに、水産資源を保護・管理し、海の恵みと美しさを次世代に引き継いでいくことは、私たちに課せられた大切な使命であると考えます》 大森専務は「このおことばを聞き、海づくり大会の意義を広く国民に深めていくことを改めて誓いました」と語る。「天皇陛下ご自身の過去のご経験を踏まえ、山から海に至る水を通じた自然の環境の重要性を問いかけていただきました。ご皇室の『豊かな海づくり』に対する深いお心を重く受け止めております」(大森専務) 天皇陛下は、積極的に、水問題に取り組まれてきた。「学習院大学の卒業論文のテーマは『中世の瀬戸内海の水運』で、留学先のオックスフォード大学でもテムズ川の水上交通を研究されました。 1987年に親善訪問したネパールで水くみ場に列をなす女性や子供を見られて、水不足が貧困や教育格差などに結びつくことを実感され、水により一層の問題意識を持たれたといいます」(前出・皇室ジャーナリスト) 令和元年の大会前日には、関係者を驚かせる出来事があった。 歓迎レセプションには、全漁連の魚食普及推進委員を務めるタレントのさかなクンも出席した。懇談後、退出される両陛下がさかなクンに近寄り、お声がけをされたという。「私もその場にいたので本当に驚きました。数年前に都内の大学でさかなクンが講演した際、愛子さまがご学友といらしており、懇談する機会があったようです。その際のことについて、雅子皇后は『ありがとうございました』と感謝のお言葉を述べられていました。 さかなクンは『ギョギョギョ!としました』と感想を話していましたが、喜びいっぱいの表情に、私たちもうれしくなりました」(大森専務) 今年の海づくり大会の午後には石巻漁港でホシガレイとヒラメの稚魚の放流行事が行われた。その後、小学生の児童4名が復興への感謝の気持ちと一緒に豊かな海になるよう願いを込め、誓いの言葉を述べると、天皇陛下がモニター越しに、児童たちにお声がけをされた。「皆さんの言葉から、一人ひとり海を大切に思う気持ちがよく伝わってきました。これからも海を守る気持ちと、そして豊かな海に育てる気持ちを持ち、豊かな海に育ててほしいと思います」 豊穣なる海への挑戦は続いていく。※女性セブン2021年10月21日号
2021.10.08 07:00
女性セブン
幼少期にはロシア語で会話もされたという雅子さま(写真/宮内庁提供)
雅子さま、前例踏襲主義の宮内庁の「ガラスの天井」破る時
 令和の皇后として、雅子さま(56才)は自身の在り方を模索され、活躍を続けてこられた。しかし、そのご活躍の陰には常に「平成の前例」という大きな壁が立ちふさがっていた──。 青々とした桑の葉を一枚一枚丁寧に置かれると、その葉を元気よく食んでいく蚕を、目を細めて見つめられた。体長9cm近くに成長した蚕の国産種「小石丸」が約800頭。雅子さまはその食欲に思わず、「全部食べてしまうのに、どれくらいかかるのですか」と担当者に尋ねられたという。 雅子さまが5月29日、皇居内の紅葉山御養蚕所で、蚕にエサの桑の葉を与える「ご給桑」に臨まれた。そのときの様子を収めた写真と映像が、宮内庁より公開された。 美智子さま(85才)より受け継がれた養蚕に、雅子さまが取り組まれる様子が公開されたのは、今回が初めてのこと。ただ、その公開のタイミングについて、こんな声が聞かれた。「なぜ11日に行われた『御養蚕始の儀』では公開されなかったのでしょうか。昨年は御代がわりの関連行事で忙しく、養蚕の作業をされる機会がありませんでした。今年、初めて雅子さまが養蚕に臨まれたのが11日の御養蚕始。記念すべき皇后としての初作業だったからこそ、世間の注目も相当集まっていました」(皇室ジャーナリスト) 雅子さまは皇太子妃時代、美智子さまが紅葉山に足繁く通われても、そこに一緒に参加されることは少なかった。それをもって「雅子さまは虫嫌いなのではないか」という指摘がされることもあった。それだけに、雅子さまが皇后として初めて養蚕に向かわれることに関心が集まったのだ。「しかし、宮内庁は『前例がない』という理由で、御養蚕始で記者が写真を撮ったり、取材をしたりすることをためらったのです。たしかに、美智子さまが養蚕をされていたときも、御養蚕始の様子が公開されたのは記憶になく、その後の作業のみが公開されました。結果、雅子さまも初めてのご養蚕ではなく、2度目のご給桑作業の様子だけが公開された。少なからず注目度が下がったことは残念です」(前出・皇室ジャーナリスト)◆皇太子妃時代は隠されていた「御所での祈り」 御代がわりから約1年、天皇皇后両陛下は新しい「令和流」のスタイルを模索されてきた。特に、雅子さまが元外交官としてのご経験を生かして活躍されるお姿は、「令和の新しい皇后像」として国内外で大きな注目を浴びた。「しかしその一方で、“もっと雅子さまのご活動の内容が広く伝わればいいのに”と思う場面が多数ありました。快復基調とはいえ、たしかにまだ雅子さまは病気療養中でいらっしゃるので、遠慮をされていることもあるのかもしれません。ただ、しっかり活動されていることは堂々と広報すればいいはずです。宮内庁側が『前例がない』という理由で情報公開や取材を避けることが多かったように感じられるのは悔やまれます」(前出・皇室ジャーナリスト) たとえば御所での「お慎み」(黙祷)もその一例だろう。 雅子さまは皇太子妃時代、外国生活が長かったことから「霊的な行事である宮中祭祀に理解がない」と指摘されることがあった。実際、療養に入られてからは長らく祭祀に出席されていなかった。 しかし、皇太子妃時代も、天皇陛下が皇居で祭祀に出席され、雅子さまが東宮御所に残られているときでも、雅子さまは決して何もされていなかったわけではない。「そうしたとき、雅子さまは必ずおひとりで『お慎み』や『ご遙拝』をされていた」 そう宮内庁関係者は述懐する。 沖縄戦終結の日や終戦記念日、広島・長崎の原爆投下日といった日には、愛子さまと一緒に黙祷を捧げてこられた。「お慎みやご遙拝という言葉は知られていますが、実際には、御所のどこで、どのようなことをされているのかは、一切明らかにされない“秘儀”とされています。ただ、それなりに精神的にも肉体的にも緊張が伴う儀式であることは、間違いありません。雅子さまがそれらに取り組まれてきたことを、宮内庁は公式に明らかにはしてきませんでした」(皇室記者) それだけに、一部には「皇太子さまが祭祀に臨まれているのに、雅子さまは御所で何もされていない」と誤解に基づく批判が長らく続いてきた。「昨年、雅子さまが皇后になられた後は『お慎み』なども宮内庁が公式にホームページに発表するようになりました。もしもっと早く公開していれば、誤解は生じなかったはずで、雅子さまももどかしい思いをせずに済んだのではないでしょうか。 平成時代には、美智子さまが頸椎を痛められ祭祀の出席が減った頃から『お慎み』をされていたことを公表するようになりました。その頃に『皇后のお慎みは公表、皇太子妃のお慎みは非公表』と、宮内庁内の“ルール”ができたのかもしれません」(前出・皇室記者)「前例踏襲」にこだわったことによって、結局、雅子さまが取り組まれてきたことが、国民に伝わりづらくなっていたということだろう。 時代の変化に伴い「皇室のSNS利用」を求める声もあり、「天皇陛下も前向きに考えられているようだ」(前出・宮内庁関係者)という。 皇室との親交が深い英王室では、すでに王室公式のアカウントが作られ、王室と国民をつないでいる。新型コロナウイルスに苦しむ国民を励ますエリザベス女王の音声メッセージは王室のツイッターで公表され、多くの英国民を勇気づけた。  いまのところ、日本の皇室ではSNSは利用されていない。「前例にない」ことが、実現を妨げる理由の1つでもあるだろう。「もちろん、国民性や皇室の在り方を前提に、慎重に検討すべきことです。ただ、即位にあたって陛下が口にされたように“国民の中に入っていく皇室”の新しい姿を国民に見せるには、国民が生活の中で当たり前のように使っているツールを使わない手はありません。あまり世間離れをして、国民と距離ができては元も子もない。宮内庁も“前例、前例”と繰り返すだけでなく、重い腰を上げて、しっかり検討すべきでしょう」(別の皇室ジャーナリスト) 美智子さまは初の民間出身の皇后として、皇室の伝統や前例と闘われながら、平成の皇后像を築かれてきた。雅子さまもまた令和の皇后像を築くため、美智子さまという“ガラスの天井”を突き破る日が来るのかもしれない。◆「またこの被災地を訪れたい」と希望された 5月30日、宮城県名取市に「震災復興伝承館」がオープンした。東日本大震災の津波で大きな被害を受ける前の町並みが再現された模型などが展示されている。 両陛下は2017年11月、その名取市を訪問された。復興状況の視察のため公営住宅などを訪れ、集まった人々一人ひとりに声をかけられた。「雅子さまは訪問中、涙ぐまれる場面がありました。両陛下は訪問後、“またこの地を訪れたい”と強く希望されたそうです。翌年の『歌会始の儀』では、訪問時の様子を歌に詠まれ、その歌は名取市にある歌碑に刻まれています。コロナ禍が収まり次第、両陛下は震災復興伝承館を訪れることも検討されているそうです」(別の皇室記者) 別の宮内庁関係者はそうした国民とのかかわり方に「両陛下らしさ」を感じたという。「天皇皇后両陛下はご静養に出かけられた先で、駅に待ち受けた一般の人たちと、長時間にわたり親しく言葉を交わされます。それはまさに “国民の中に入る”という、両陛下の気持ちの表れではないでしょうか。そうした両陛下らしさが見られる機会が、増えていってほしいです」 昨年9月、両陛下が秋田県を訪問された際、視察先として秋田市の「秋田県動物愛護センター」に足を運ばれた。動物愛護の施設が皇族方の訪問先となるのは非常に珍しい。動物がお好きで、保護された動物たちを飼われている両陛下らしいものだろう。 両陛下の「令和らしさ」は、少しずつだが確実に、打ち出されている。※女性セブン2020年6月18日号
2020.06.05 11:00
女性セブン
晴れ舞台は来年に持ち越し?(時事通信フォト)
天皇陛下即位パレードのオープンカー 五輪延期で今どこに?
 令和の時代の始まりの象徴となったのが、昨年11月10日に行なわれた天皇陛下の即位パレード(祝賀御列の儀)だ。コースは皇居・宮殿から赤坂御所までの約4.6キロ。天皇・皇后両陛下の姿を一目見ようと、11万9000人が沿道に押し寄せた。国旗を手に祝福する人々に、両陛下はにこやかに手を降った。 当時注目されたのが両陛下を乗せたオープンカーだ。2018年にフルモデルチェンジされたばかりのトヨタの最高級車・センチュリーを改造した特別車で、約8000万円の予算が投じられた豪華さも話題となった。宮内庁担当記者が言う。「平成2年の天皇即位パレードで使われたロールスロイスのオープンカーは、その後は皇太子さま・雅子さまのご成婚パレードでしか使用されないまま廃車になってしまいました。現在は宮内庁車馬課の倉庫に保管してあります。たった2回しか使われないのではもったいないという声もありました。そのため、今度の“令和のオープンカー”は宮内庁ではなく内閣府が管理することになったのです。 パレードの後、東京・赤坂の迎賓館や京都迎賓館で一般公開されていましたが、今後のお披露目の場は未定のようです。新型コロナ感染拡大の問題もあり、当分その機会はないかもしれません。本来なら今年の夏に東京五輪の選手パレードで活用されると聞いていたんですが……」 現在、オープンカーは「内閣府がある東京・永田町の中央合同庁舎8号館の駐車場で保管されています」(内閣府皇位継承式典事務局)とのこと。 来年の夏、その姿を再び見ることはできるのか。※週刊ポスト2020年5月8・15日号
2020.05.01 07:00
週刊ポスト
評論家の呉智英氏
象徴天皇制は芸能人天皇制、トモダチ天皇制へと世俗化した
 1995年、阪神淡路大震災が起きてから約1か月後、兵庫県の避難所を訪れた皇太子ご夫妻に、男の子がサインをお願いする場面があった。皇太子さまは男の子からノートを受け取ると「がんばってください」というメッセージを書かれたという。その半世紀前には、天皇ご一家といえば神に等しい存在だったことを思うと、ずいぶんと変化したものだ。評論家の呉智英氏が、世俗化する天皇制の歴史を振り返り、その真実が知られなくなることへの危惧を問いかける。 * * * 一月二十五日、国技館で天皇一家の大相撲観戦があった。天覧である。場内放送があると客席では歓声と拍手が沸き上がった。ラジオのニュースで聞いていると、口笛まで混じっていたようだ。 いやあ、驚いた。口笛は親しみの表現であり、からかいの表現でもある。友人の結婚式のパーティーで口笛が鳴るのも、こんな美人を嫁さんにしやがって、このヤロー、という気持ちからだ。戦後の象徴天皇制は、女性誌に見られるように芸能人天皇制になり、さらにトモダチ天皇制にまでなった。天皇制の世俗化である。 私は尊皇の気持ちがあるわけではないが、別の意味で天皇制の歴史や真実が知られなくなるのはよくないと思う。令和改元以来、マスコミも世論も、世俗天皇制の風潮に呑まれているようだ。 産経新聞では昨年来「記紀が描く国の始まり 天皇の肖像」を連載している。昨年二月二十二日付の「国生みと神生み神話」とする囲み記事にこんな一節がある。「〔女神〕イザナミから声をかけて国生みしようとした。しかし、しっかりした子が生まれなかったため、高天原に相談すると、男神から声をかけるように言われた」 この「しっかりした子が生まれなかった」て何だろう。 岩波古典文學大系『古事記・祝詞』では「生める子は、水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流し去(う)てき」とし、水蛭子とは「手足のない水蛭(ひる)のような形をした不具の子の意」か「手足はあるが骨無しの子の意」と注釈する。要するに「不具の子」が生まれたので葦船に入れて海に捨てたのである。 産経の記事では世論に迎合して原典を改変している。だが、神が「不具の子」を海に捨てようが捨てまいが、俗人が口出しすべきことではないだろう。 朝日新聞は今年一月五日付で、伊勢神宮の初詣客が昨年より四万七千人増えたと報じ、「令和初」効果だとする。新帝が昨年十一月二十二日に伊勢神宮に参拝したことも大きいだろう。 しかし、天皇が伊勢神宮を参拝するようになったのは、明治以後のことである。明治より前は、天皇は伊勢神宮に参拝することはなかった。このことを私は学生時代に直木孝次郎の著作で知った。比較的新しい本では溝口睦子『アマテラスの誕生』(岩波新書、二〇〇九)に、こうある。「天皇の伊勢神宮参拝は」「明治天皇の参拝が」「史上最初のものである」。「持統天皇や聖武天皇の伊勢行幸はあったが、その時も神宮への参拝はなかった」。 理由は、系統が違うからだ。 溝口は、日本神話の最高神に次の三つを考える。タカミムスヒ、アマテラス、オオクニヌシである。それぞれ由来が別系なのに最高神として扱われている。明治新政府の『人民告諭』は「天子様ハ天照皇大神宮サマノ御子孫様」とする。だが、溝口はアマテラスは「海路」に関わる神だと考える。 伊勢神宮参拝の記事でこれに触れたものを見ることはなかった。●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。※週刊ポスト2020年2月14日号
2020.02.03 16:00
週刊ポスト
雅子さまの「国民に語りかける機会」が奪われる時代錯誤
雅子さまの「国民に語りかける機会」が奪われる時代錯誤
「国民に寄り添う」という思いを胸に、雅子さま(56才)は令和の皇后として立派に務めを果たされてきた。しかし今、その思いに反して、国民への「歩み寄り」の機会が失われようとしているという。 来たる2月23日、天皇陛下が60才の誕生日を迎えられる。即位後初めての陛下の記者会見もある。 平成時代、即位後初の上皇陛下の誕生日会見では、美智子さまが一緒に出席された。そのため、前例を踏襲すれば、今回の天皇陛下の誕生日会見でも、雅子さまが同席されるとみられていた。しかし、宮内庁は雅子さまの同席はないと判断しているという。 天皇誕生日の会見以外にも、平成時代にも上皇上皇后両陛下が出席して行われた「即位に際しての会見」、そして今春予定されているイギリス公式訪問に際しての会見において、雅子さまが出席される可能性が高いとされていた。しかし、宮内庁としては、「即位に際しての会見」は誕生日会見に含まれるものとして開催しない方針とのこと。また、イギリス訪問に際する会見も療養中であることを理由に雅子さまは出席なさらないか、会見自体を見送る方向で調整されているという。◆「会見がお嫌いか」 批判が上がりかねない たしかに、雅子さまには会見に“苦い記憶”がおありだ。雅子さまは皇室入りをされる前から、会見のたびに「見当違い」「揚げ足取り」といえる批判を浴びてこられた。 1993年1月、陛下とのご婚約会見では「(当時の)皇太子さまよりしゃべりすぎではないか」と非難された。2002年4月の愛子さまご出産の際の会見で涙を流されると「皇族が人前で涙を見せられるべきではない」という声が上がった。 同年12月の会見で《外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、(中略)適応することになかなか大きな努力が要った》と胸の内を明かされると、「お世継ぎの男児を産むよりもご自分が行きたい海外訪問の方が大事なのか」と批判された。その会見が、最後のものになった。 翌2003年に雅子さまは体調を崩され、そのまま療養生活に入られた。 それから約15年。雅子さまのお立場は、皇太子妃から皇后へと変わり、目覚ましい活躍を見せられている。「たしかに雅子さまは、会見に困惑されるお気持ちやトラウマを持たれているかもしれません。しかし、今の国民は雅子さまを応援しようという雰囲気一色で、それも公務での国民とのふれあいやパレードなどを通じて雅子さまも感じていらっしゃるはずです。 たとえそれがひとことふたことでも、雅子さまが直接国民に語りかける機会を持たれることがとても重要であることは、雅子さまがおわかりでないはずがありません。 雅子さまは『新年祝賀の儀』『歌会始の儀』など今年に入ってからも重要な行事をこなされ、堂々としたお姿を見せてこられました。療養中でも、皇太子妃時代から並大抵でないご覚悟を持って生きてこられたわけですから、雅子さまがそこまで会見を拒否されるとは考えづらいのです」(皇室ジャーナリスト) しかし、いざ雅子さまが意を決して17年ぶりの会見に臨もうとされても、宮内庁が動かないことには実現しない。「皇太子妃の時代から側近たちは長い間、療養中の雅子さまをいかに支えるかを腐心してきたので、慎重になっていることは理解できます。しかし、慎重になりすぎては、逆に国民との距離が広がりかねません。それは、雅子さま自身のためにならないでしょう。 何度となくある会見の機会をすべて失してしまうのならば、“雅子さまは会見が嫌いなのか”と声が上がりかねません。療養中であることはわかっていても、批判に転じてしまう可能性もあります」(前出・皇室ジャーナリスト) 陛下に対してもそうだ。平成の時の「即位会見」では12問の質問が投げかけられたが、「今回の会見では宮内庁側は『ご負担が大きいので5問まで』という姿勢」(前出・皇室記者)という。両陛下のご覚悟に対し、宮内庁は過剰に不安を抱いているのではないか。 昨年10月、「即位礼正殿の儀」で述べられたおことばで、天皇陛下は「国民に寄り添う」意思を明確にされた。その思いは、雅子さまも変わらないはずだ。 何事もオープンにする姿勢は、時代の流れだ。雅子さまが国民に語りかける機会が奪われているのであれば、それは時代錯誤ではないだろうか。「雅子さまが即位以降お元気なお姿を見せられている分、どこかで躓いてはならないと慎重になっている面もあるのかもしれません。何か会見にかかわる事情があるのであれば、その障壁を取り除く工夫と努力が宮内庁にも求められていくでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト) 国民に向けて肉声で語りかけられる――雅子さまのご覚悟はもうできているはずだ。※女性セブン2020年2月13日号
2020.02.02 07:00
女性セブン
秋田空港で沿道の人たちに手を振られる天皇、皇后両陛下(時事通信フォト)
新天皇8000万円「パレード車」巡る宮内庁と内閣府の綱引き
 10月22日に迫った天皇陛下の「即位礼正殿の儀」。当日は皇居から赤坂御所まで祝賀パレード(祝賀御礼の儀)が催される。その際に使用されるのが、トヨタの最高級車「センチュリー」を改造したオープンカーだ。「沿道から天皇・皇后両陛下のお姿がよく見えるように、後部座席が前席よりも4センチ高く、背もたれの角度は25度に調節されている。衝突回避、自動ブレーキシステム、後部座席のサイドエアバッグなども備えています。ちなみに、ナンバープレートは菊の御紋のみ。車の調達予算は8000万円とされており、9月中には納車される予定です」(宮内庁担当記者) 実はこの車の“所有権”を巡って、宮内庁内がざわついているという。 平成2年(1990年)の天皇即位パレードで使われたロールスロイスのオープンカーは、その後、宮内庁が管理した。しかし、今回のセンチュリーは宮内庁ではなく内閣府が管理することになったという。宮内庁関係者が言う。「平成時代のロールスロイスは、その後1993年の皇太子さま・雅子さまのご成婚パレードでしか使用されなかった。たった2回しか使わないのではもったいない、もっと活用するべきだということで、内閣府の管理下になるというのです。11月頃から迎賓館で展示され、来年の東京五輪などの様々な行事でも使用されると聞いています」 しかし、この方針は宮内庁内部では快く思われていないようだ。「有効活用といえば聞こえはいいですが、現実的には天皇陛下のために作られた車が政府の都合のいいように使われかねません。中には“まさか安倍首相と昭恵夫人が乗るのではないか”と心配顔で話す職員もいる」(同前) 内閣府に今後の用途を訊ねると、「東京・赤坂の迎賓館に展示する予定ですが、それ以外については検討段階で決まっていません。政府全体で有効活用していきたい」 との回答だった。両陛下の次に座るのは誰だろうか。※週刊ポスト2019年10月11日号
2019.10.03 11:00
週刊ポスト
今年6月、白内障の手術を受けられた美智子さま(撮影/横田紋子)
乳がん公表の美智子さま 「包み隠さず伝える」という思い
 宮内庁は8月9日夕刻、美智子さまの左胸に乳がんが見つかったと発表した。美智子さまが、がん宣告を受けられたのは、その日の朝だった。 10年以上前から乳腺の定期検診を受けられていた美智子さま。今年7月12日、乳腺の超音波(エコー)検査で胸に腫瘤が見つかった後、精密検査が行われ、乳がんが見つかった。ステージ(進行度)は未公表だが、比較的早期の発見で、転移の可能性は低いとみられる。 手術は8月下旬の長野県軽井沢町や群馬県草津町での静養で体力の回復を図った後に、臨まれることになる。 一方、2002年、上皇陛下に前立腺がんが見つかった。陛下の傍らで治療を支えられていたのは美智子さまだった。「医師が陛下に病状を伝える時、美智子さまはいつもお隣で聞いておられた。病気について熱心に勉強され、『手術後に失禁が起こる可能性はあるのですか』など、具体的なことを聞かれることもありました」(皇室関係者) 2012年の陛下の心臓バイパス手術の時も支えられた。「美智子さまは毎日病室に通われ、陛下の好きな音楽をかけたり、皇居で採れたふきのとうをお土産にされたりと、献身的に看病されていました」(宮内庁関係者) がん闘病の際、陛下は病状や手術について「すべてを包み隠さず国民に伝えること」を強く主張されたという。今回、美智子さまの乳がんが速やかに公表されたのにも、同じ理由があるのだろう。皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう分析する。「上皇上皇后両陛下は“自分の体は自分だけのものではない”とお考えだと思います。病状などを隠して入院されると、憶測を呼び国民が余計に心配します。それを避けるためにもきちんと公表すべきとのお考えでしょう」 十二指腸がんで崩御された昭和天皇ががんを患っていたことを国民が知ったのは、時代が平成となってからだ。一方で、1963年、美智子さまが第2子を流産されたことは、宮内庁を通して公表された。どれだけ勇気のいることだったか。長女の黒田清子さんは、上皇陛下の前立腺摘出手術の後の誕生日会見でこう語った。「病状をそのままに伝えるという陛下のお考えは、この度が初めてではなく、皇太子さまご出産の3年後、皇后さまが胞状奇胎によるご流産をなさった時から一貫してこられたことでした。(略)どれだけお辛いことだったろうと想像されます。それでもできるだけ国民に病状を隠さないという、陛下のお考えに添って発表が行われています」 それから16年。今回も、包み隠そうとはしなかった。※女性セブン2019年9月5日号
2019.08.25 16:00
女性セブン
変化が見られる紀子さま(撮影/JMPA)
紀子さま、美智子さま流から雅子さま流へ変化の理由
 5月に御代がわりを迎えて以降、女性天皇容認の期待が急激に高まっている。各紙の世論調査でも、《女性天皇に賛成は78.3%》(5月14日産経)、《「認めるべきだ」は76%》(同月13日日経)、《認めることに賛成は79.6%》(同月3日毎日)と、軒並み8割近くの人が賛成と答えている。7月21日に参院選も終わり、国政の場でも本格的な議論が開始されるとみられる。 女性天皇が現実味を帯びることと、「愛子天皇待望論」の高まりは切り離せない。その一方で現在皇位継承順位第2位である秋篠宮家の悠仁さま(12才)の天皇即位は遠のいていくことにもなるだろう。 そんななか、「悠仁天皇」への強い思いをお持ちの紀子さま(52才)は、雅子さま(55才)とのご関係にも、変化を見せられているという。「2004年、当時の皇太子さまが、いわゆる雅子さまへの『人格否定発言』をされた時、秋篠宮さまが苦言を呈されたことなどから、兄弟両家の間の溝が囁かれてきました。 また、長い療養生活で公務などを制限せざるを得なかった雅子さまに対し、お務めを完璧にこなされてきた紀子さまは、強い自負心とライバル心を抱かれてきたと報じられたこともあります」(皇室ジャーナリスト)◆「雅子さまスタイル」へ しかし、眞子さま(27才)の結婚延期や、愛子天皇待望論の高まりを受け、状況は一変する。「憲法の規定上、皇族方は、皇室制度について意見を述べられる立場ではありません。とはいえ、上皇陛下がご自身の生前退位を希望され、世論の後押しで実現された前例があります。女性天皇実現についても、天皇皇后両陛下ご一家に大きな影響があることなので、両陛下にご意見を求めるべきだという声も根強い。 現実的に言っても、両陛下や愛子さまが、女性天皇をどう考えていらっしゃるかを、無視はできないはず。つまり、紀子さまにとっても『悠仁天皇』が実現するかどうかは、雅子さまのお考えも少なからず影響するということです。 それだからでしょうか、このところ紀子さまが雅子さまに歩み寄られたり、倣われたりすることが、増えているように感じます」(前出・皇室ジャーナリスト) 訪欧後の公務が続いた20日、紀子さまは横浜能楽堂(神奈川・横浜)の特別公演「大典 奉祝の芸能」を鑑賞された。「天皇陛下の即位を記念した演目で、紀子さまは2階の最前列で鑑賞されたそうです。 実は紀子さまは6月にも横浜能楽堂を訪れ、御代がわりを記念した琉球舞踊を、眞子さまと共に鑑賞されました。 2度にわたって即位をお祝いする公演をご覧になり、公務でお忙しい中でも“即位をお祝いする”という姿勢は、両陛下との距離を縮めるものになったのではないでしょうか」(皇室記者) 紀子さまはご結婚以来、「美智子さまスタイル」を身につけることに心血を注いでこられたが、最近は「雅子さまスタイル」を踏襲されることに、舵を切られたようだ。「紀子さまは9月11日の誕生日の際、会見を開かず文書で記者からの質問に答えられるといわれています。 美智子さまは皇太子妃時代、誕生日に際して会見を開かれていました。雅子さまも皇太子妃となられた当初は会見をされましたが、療養生活に入ってからは文書回答に切り替えられました。 本来、皇太子妃待遇の紀子さまは会見に臨まれることが自然なはずです。しかし、雅子さまのやり方を尊重され、それに倣おうとされたのでしょう。これまで“ライバル関係”ともいわれた紀子さまが、雅子さまに歩み寄られる意思表示をされたようにも感じられました」(宮内庁関係者) おふたりは昨年5月、栃木県にある宮内庁管轄の農場「御料牧場」でそろって静養された。当時の東宮家と秋篠宮家のご静養の日程が重なるのは極めて異例のこと。その時から、雅子さまと紀子さまのご関係は変わりつつあったのかもしれない。※女性セブン2019年8月8日号
2019.07.28 07:00
女性セブン
悠仁さまを出産された紀子さまのお見舞いに訪れた秋篠宮さまと眞子さま、佳子さま(2006年9月、時事通信社)
「理想の家族像」と呼ばれた秋篠宮家、直面する待遇面の問題
 平成から令和へと時代が変わるなかで、国民から高い関心を抱かれている秋篠宮ご一家。 2017年9月に眞子さま(27才)の婚約内定会見が行われると、その直後、婚約者である小室圭さん(27才)の家庭の金銭トラブル問題により結婚が延期。すると、今年3月、次女の佳子さま(24才)から異例の“姉擁護宣言”が飛び出した。そして、4月下旬には、長男・悠仁さま(12才)の身に「刃物事件」が起こった。矢継ぎ早に発生する不測の事態に、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下以上に、秋篠宮さまとご家族は注目を浴びる存在になっている。◆皇太子ご一家への逆風、秋篠宮家が「理想の家庭像」に 秋篠宮さま(53才)と紀子さま(52才)は、1990年6月にご成婚された。その後、1991年10月23日に眞子さまが、1994年12月29日に佳子さまが誕生された。 当時、皇室には福音が相次いだ。眞子さまの誕生に続き、1993年6月には皇太子さま(当時/現在は59才)と雅子さま(55才)が世紀のロイヤル・ウエディングを果たされた。 2001年12月1日には待望の愛子さまが誕生して、皇室の未来は明るいと誰しも感じていた。だが、ここから暗雲が漂う。雅子さまが2003年12月に帯状疱疹で入院され、長期静養に入られたのだ。そして、翌年7月、宮内庁が「適応障害」と発表した。 同年5月には皇太子さまが「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と衝撃の“人格否定発言”をされて物議を醸したが、さらに11月、秋篠宮さまは「記者会見で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」と、ストレートに意見された。 その時、秋篠宮さまは公務についても「かなり受け身的なものと考えている」と発言され、「時代とともに見直すべき」とする皇太子さまとの違いを見せた。ここから、皇太子さまと秋篠宮さまの関係に綻びが生じていったとされる。 当時の皇室は、秋篠宮さまのご誕生以来、男子が生まれておらず、約2000年続くとされる万世一系が途絶えるとの緊張感が漲っていた。 2004年からは小泉政権のもとで「皇室典範に関する有識者会議」がスタートして、女性天皇・女系天皇の容認に舵を切る最終報告書が国会に提出されるはずだった。だが2006年2月に大きな転機が訪れる。紀子さまのご懐妊が発表されたのだ。「皇統の継続に危機感を抱いた秋篠宮ご夫妻は、かねてから第3子を望まれており、両陛下にお伺いをたてていました。40才を目前に控えた紀子さまや秋篠宮さまにとって、この時のご懐妊は“おめでた”というよりも、皇族としての“お務め”であったような気がいたします」(皇室担当ベテラン記者) 2006年9月6日、39才の紀子さまは、皇族にとって実に41年ぶり、秋篠宮さま以来となる男子・悠仁さまを出産された。皇族では前例のない、帝王切開によるご出産だった。 誕生とともに、悠仁さまの皇位継承順位は、皇太子さま、秋篠宮さまに次ぐ第3位になられた。皇統の継続がひとまずの安定を得たことで、女性天皇・女系天皇論は立ち消えになった。 そこから、世間の風向きが変わり始める。「療養が長引いて公務に出られないことに加えて、いじめ問題を抱えていた愛子さまに“同伴登校”されるなどで雅子さまに逆風が吹く中、美智子さまを見習われて、ほぼ休むことなく公務をこなされる紀子さまへの世間の評価が高まりました。適応障害の雅子さまに対して、結婚前から皇室に慣れ親しんだ紀子さまは『過剰適応』ともいわれていましたが、両陛下もその姿勢を信頼されていました」(宮内庁関係者) 吹いてきた風は秋篠宮家にとっても追い風となった。「皇族伝統の学習院ではなく、ICUで学んだ眞子さまと佳子さまの自由でのびやかな姿は、多くの人に感銘を与えました。また悠仁さまの健やかなご成長は国民にとって大きな希望となり、『皇太子さまは秋篠宮さまに皇位継承権を譲ってはいかがか』という意見まで聞かれるようになりました。自由で大らかな秋篠宮家が多くの人にとって“理想の家庭像”に感じられたのです」(前出・宮内庁関係者)◆重い使命と限られたお金で家計をやりくり 一方で、秋篠宮家は厳しい現実に直面していた。待遇面の問題だ。悠仁さまが誕生された2006年、皇室にかかる費用のうち、当時の天皇皇后両陛下、皇太子ご一家の5人には「内廷費」として年間3億2400万円が支給されていたが、秋篠宮家の5人には年間5490万円の「皇族費」が支給されるのみだった(皇嗣家になられた今年度は約1億2300万円が支給)。 職員数も皇嗣家になるに伴って51人に増えたが、それまでは24人しかおらず、皇族費から私的に職員を雇っていた。皇室ジャーナリストの神田秀一さんが指摘する。「今後も秋篠宮家は、皇族費のみで生活をやりくりする必要があります。御代がわりで増額されましたが、増え続ける公務と悠仁さまを大切に育てるという使命の中、限られたお金で家計をやりくりされる困難は変わりません。 本来は宮内庁がサポートすべきですが、双方の意思疎通ができていない状況です。昨年11月の誕生日会見で秋篠宮さまが、『新天皇の即位儀式への公費支出について意見したのに、宮内庁長官が聞く耳を持たない』と厳しい言葉を投げつけられたのは、宮内庁への不満の表れでしょう」※女性セブン2019年7月11日号
2019.06.30 07:00
女性セブン
婚約発表の記者会見を終え、安堵の表情で向かい合うおふたり(1989年9月、代表取材)
秋篠宮さま、紀子さまとの出会いと婚約時の世間の反応
 6月21日、ポーランドとフィンランドへの公式訪問(6月27日~7月6日)にあたっての記者会見で、秋篠宮さま(53才)は長女・眞子さま(27才)の結婚問題について、こう語られた。「それについては、私は娘から話を聞いておりませんので、どのように今なっているのか、考えているのか、ということはわかりません」 いまだ進展を見せない眞子さまの結婚問題。皇族のご結婚は、そう簡単なものではないのは言うまでもないが、秋篠宮さまご自身の場合はどうだったのだろうか──。◆“3LDKのプリンセス”に出会われて1年でプロポーズ 学習院大学在学中に、運命の出会いがあった。秋篠宮さまが大学2年時の1985年4月、大学構内にあった書店での出来事だ。「こちら、川嶋教授のお嬢さまです」 店主からたまたま紹介されたのが川嶋辰彦学習院大学教授の長女で、1学年下の紀子さま(52才)だった。 おふたりは秋篠宮さまが結成したサークル・自然文化研究会での活動を通じて親密な仲となり、神奈川県の三浦海岸などで逢瀬を楽しまれた。翌年6月、常連だった目白のスナックの帰り道でのこと。秋篠宮さまは駅近くの交差点で信号待ちをしていた時、「私と一緒になってくれませんか?」とプロポーズされた。 突然の求婚に驚いた紀子さまは「よく考えさせていただけませんか」と返答されたが、後に結婚を承諾され、1989年9月に婚約が内定した。「当時、紀子さま一家は3LDKで家賃3万3000円という学習院大の共同住宅に住み、お宅にはテレビがありませんでした。 この頃の日本はバブル崩壊直前で、ジュリアナブームの真っ只中。そんな時代に紀子さまの可憐な微笑みを見た多くの人たちは、“まだ日本にこのような女性がいるのか”と一様に魅了され、空前の紀子さまブームが巻き起こりました。そのような女性を選ばれた秋篠宮さまにも、国民から感嘆の声があがりました」(皇室担当ベテラン記者) だが、当時は同年1月に崩御された昭和天皇の服喪期間中であり、宮内庁の一部からは、「この時期の婚約はありえない」「皇太子さまより先の結婚は好ましくない」との声が上がった。紀子さまが平均的な庶民であることから、「身分が違うのではないか」との声さえ聞かれた。「それでも秋篠宮さまは、紀子さまとのご結婚を成就することを望まれました。 両陛下も“皇族の相手の実家は、国民から見て堅実な家庭ならば問題ない”“交際が長引いて破談になる方がよくない”として、ご結婚をお許しになりました」(前出・ベテラン記者) おふたりは1990年6月にご成婚された。「3LDKのプリンセス」と呼ばれた紀子さまはその先の長い道のりを秋篠宮さまと歩むことになった。 その後、1991年10月23日に眞子さま(27才)が、1994年12月29日に佳子さま(24才)が誕生された。「おふたりとも命名されたのは秋篠宮さまでした。眞子さまの『眞』という字には“自然のまま、ありのまま”という意味が込められ、佳子さまには“心身ともに佳い子に育ってほしい”との思いが託されました」(前出・ベテラン記者) 当時、小さい子供たちのために1日1箱吸っていたたばこをきっぱりとやめられたという秋篠宮さまは、親しい人にこんな言葉をかけられた。「女の子は本当にかわいいですね。大きくなってもお嫁には行かせたくないですね」 この頃の秋篠宮ご夫妻に大きな影響を与えたのは、ほかならぬ上皇上皇后両陛下だった。「当時の秋篠宮家は両陛下と同じ赤坂御用地内にお住まいで、秋篠宮ご夫妻は乳母車を押して頻繁に御所を訪れられていました。そうしたふれあいの中で、両陛下の“皇位をつないでいくもの”としての帝王学や立ち居振る舞いなどが秋篠宮さまと紀子さまに引き継がれました。『常に国民とともにありたい』と願う両陛下のお考えは、若いご夫妻に多大な影響を与えました」(元宮内庁職員) とりわけ紀子さまは上皇后さまの姿勢に感銘を受け、「美智子さまに一歩でも近づきたい」と思うようになられた。※女性セブン2019年7月11日号
2019.06.29 07:00
女性セブン
兄・浩宮さまと紀宮さまにマット運動を披露(1972年11月)
秋篠宮さま 子供時代は暴れん坊、学生時代は要領いいタイプ
 それは、ある意味で秋篠宮さま(53才)らしい、ハッキリとしたご発言だった。「それについては、私は娘から話を聞いておりませんので、どのように今なっているのか、考えているのか、ということはわかりません」 6月21日、ポーランドとフィンランドへの公式訪問(6月27日〜7月6日)にあたっての記者会見で、秋篠宮さまは長女・眞子さま(27才)の結婚問題について、こう語られた。秋篠宮家を知る関係者が話す。「昨年11月、秋篠宮さまは、“現状のままでは納采の儀は行えない”と明言されました。今回のご発言は、国民に向けて、“あれから一歩も進んでいない、厳しい対応のままです”ということをお伝えになられたかったのだと思います。 眞子さまはずいぶんとかたくななご様子だそうです。ご一家の中でも、秋篠宮さまと眞子さまはおふたりで頻繁に旅行に出かけられるなど、特に心を通わせるご関係でした。それなのに、娘の一生にかかわる縁談について、親として娘の気持ちがわからない。会見ではずいぶんおやせになられた印象でしたが、秋篠宮さまの苦しい胸の内が垣間見えました」 2016年に上皇陛下が生前退位のご意向を示されてから、より一層の注目が集まっていた皇室だが、平成の終わりから令和元年の今日に至るまで、国民が最も関心を抱いているのは、秋篠宮ご一家ではないだろうか。 2017年9月に眞子さまの婚約内定会見が行われると、その直後、婚約者である小室圭さん(27才)の家庭の金銭トラブル問題により結婚が延期。すると、今年3月、次女の佳子さま(24才)から異例の“姉擁護宣言”が飛び出した。そして、4月下旬には、長男・悠仁さま(12才)の身に「刃物事件」が起こった。矢継ぎ早に発生する不測の事態に、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下以上に、秋篠宮さまとご家族は注目を浴びる存在になっている。 ご家族について報じられるたび、改めて浮かび上がるのは、これまでの皇族らしからぬ、主体性を重んじる秋篠宮ご夫妻の教育方針だ。 実際、眞子さまや佳子さまは皇族御用達の学習院を飛び出してICU(国際基督教大学)で学び、悠仁さまも皇族として戦後初めて学習院以外の小・中学校へ入学した。 3人の子供たちは、皇族としてのお立場に縛られず、のびのびと成長されていると感じるが、そもそも、父である秋篠宮さまご自身の言動も奔放なことで知られてきた。 例えば、本来は御代がわりで天皇の地位を継ぐ弟を意味する「皇太弟」になるべきところを、「皇太子になる教育を受けていないから」という理由で「皇嗣」という耳慣れない立場を選ばれたとされる。 2004年には兄を批判したとも受け取られかねない発言をして、今回の御代がわりに際しても「70代半ばからはできない」と自らの即位を辞退するかのような際どい発言をされたと報じられた。 だが奔放と苦悩は隣り合わせともいえる。誰よりも自由を謳歌した秋篠宮さまは、今や誰よりも重い責任を抱える方でもあられるのだ。◆勉強嫌いな“暴れん坊アーヤ”の自由な子供時代 秋篠宮さまは1965年11月30日、皇太子さまと皇太子妃美智子さま(ともに当時)の次男として、宮内庁病院で誕生された。身長51cm、体重3000gという立派な体格で「礼宮(あやのみや)」との称号がつけられた。天皇家初となる麻酔による無痛分娩で出産された。 弟の誕生を心待ちにしていた当時6才の浩宮さま(現在の天皇陛下)は、学校から帰るなりかばんも置かず、「アーヤちゃんは」と気にかけて、あやすようになられた。当時、上皇陛下は会見でこんな教育方針を語られていた。「いずれは差がつくかもしれないが、分け隔てなく、兄弟をなるべく一緒に同じように育てていきたい。しかし兄は将来、窮屈な立場になるので今のうちに自由に、弟は将来、兄より自由になるのでしつけに厳しく、窮屈に育てたい。大きくなったことを考えると、これでバランスがとれると思う」 まだ幼い兄弟に上皇上皇后両陛下は挨拶の仕方や人との接し方など、皇位継承者としてのマナーを厳しくしつけられたが、幼少期から帝王学を学び、穏やかな性格といわれる天皇陛下とは反対に、秋篠宮さまはわんぱくに育った。 学習院幼稚園では当時流行していた「タイガーマスクごっこ」でお友達を泣かせて、美智子さまが直々に相手の母親に何度も謝罪の電話をなさったという。元宮内庁職員が振り返る。「まだ幼かった秋篠宮さまは茶目っ気たっぷりで、職員が池をさらっていると長靴姿でじゃぶじゃぶと入ってきて、作業を手伝ってくれました。あまりの“暴れん坊”ぶりに手を焼いた美智子さまが、元五輪選手をコーチに招聘して、マット運動を教え込まれたこともありました」 一方で寂しがり屋の面もあり、両陛下が公務に出られた時には天皇陛下がじっと耐えられたのに対し、秋篠宮さまはこらえられず泣かれることが多かった。 1972年に学習院初等科に入学し、その後、中・高等科から大学へと進まれた。学生時代は、上から押しつけられて勉強することがあまりお好きではなく、試験の前だけ頑張って結果を出す“要領のいいタイプ”だったという。前出の元宮内庁職員は、「ご兄弟は、いろいろな面で対照的でした」と指摘する。「秋篠宮さまの大学時代は友人とよく飲み歩き、カラオケでものまねを披露されることもありました。常にお側に控えていたSPをまかれて、一般客に気づかれず飲むことも多く、どこに行かれてもSPを受け入れていた天皇陛下とは対照的でした。 東宮御所でテニスをする際も、陛下はとてもまじめにボールを打ち返されますが、秋篠宮さまはスピンをかけるなど、さまざまなテクニックを駆使されていました」 一方、1988年に学習院大学を卒業後、英オックスフォード大学に留学されると、動物学にのめり込み、留学中はかつての勉強嫌いが一転して、朝から晩まで机に向かわれた。 20年以上にわたって秋篠宮さまと親交のある、毎日新聞編集委員の江森敬治さんの著書『秋篠宮さま』(毎日新聞社刊)によると、秋篠宮さまは上皇上皇后両陛下の教育方針についてこう述べられている。《子供は何かをやりたいと言っても、それを否定する親もいると思う。両親はそういうことはなく、とにかく、私の好きな分野をずっと歩かせてくれた。そのことに大変、感謝している》※女性セブン2019年7月11日号
2019.06.27 16:00
女性セブン
全国植樹祭にご出席された雅子さま(撮影/JMPA)
華々しい公務デビューの新皇后・雅子さま 「祈り」受け継ぐ
 新しい皇后に即位された雅子さま。アメリカのトランプ大統領来日時には、元外交官という能力を生かし、トランプ夫妻と流暢な英語で言葉を交わすなど、高い外交スキルで国内がいいインパクトを与えた。 ただ、それだけであれば、雅子さまはひとりの「優秀な外交官」に過ぎない。日本の天皇家が連綿と続けてきた、神々への感謝と国家国民の安寧への「祈り」こそ、「日本の国母」たる皇后の至高の務めだ。 皇后が「日本の国母」と称され、国民から敬愛されてきたのは、かつて美智子さまが《陛下のお側にあって、全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています》(1994年6月、60才の誕生日文書)と綴られた通り、天皇家の「祈り」によって国民の喜びや悲しみに寄り添われてきたからだろう。 その「祈り」を体現するのが「宮中祭祀」である。「雅子さまは結婚前のキャリアが生きる皇室の国際親善など公務の場面では、皇后として華々しいスタートを切られました。とはいえ、まだ療養中のお体です。伝統的な所作が求められる、霊的な行事である宮中祭祀に、どれだけ雅子さまが取り組まれることができるのか、不安視する声は少なからずあります」(皇室記者) 宮中祭祀とは、皇祖神である天照大神が祀られる「賢所」、歴代天皇・皇族が祀られる「皇霊殿」、あらゆる神々が祀られる「神殿」からなる宮中三殿で行われる祭儀のことだ。端的に言えば、国家と国民の安寧と繁栄、そして世界平和を祈られるもので年間20件ほど行われる。たとえば、今年11月14、15日にかけて行われる「大嘗祭」の中心儀式「大嘗宮の儀」もその1つだ。 かつては国家的行事だった宮中祭祀だが、戦後は皇室の私的行事とされ、国民にその内容が知られることはなくなった。しかし、森深い皇居の奥で、神聖で神秘的な祭祀が、昔と変わらない形で連綿と続いているという。 美智子さまは2013年、79才の誕生日文書で、宮中祭祀に触れ、《前の御代からお受けしたものを、精一杯次の時代まで運ぶ者でありたいと願っています》と覚悟を述べられた。 美智子さまが「次の時代」まで運ばれた「祈り」だが、皇太子妃時代の雅子さまは出席されないことも多かった。療養に入られて以降、雅子さまの宮中祭祀の機会は、当時の皇太子さまとともに、両陛下の名代を務められる場合などに限られてきた。 これまで雅子さまは、「海外生活が長い合理的なキャリアウーマンなので、宮中祭祀という“神事”がなかなか理解できない」とされてきた。「宮中では生理のことを“まけ”といい、まけの期間は血の穢れという概念から宮中祭祀にかかわれないとされます。雅子さまは頻繁に生理のチェックをされるため、ご負担に感じられたといわれてきました。また、着替えや、全身の清めもすべてを女官の手に任せる『潔斎』を嫌っているという指摘もありました」(皇室ジャーナリスト)◆装束すべて含めると15kgを超える しかし、ある皇室関係者はその見方を明確に否定する。「雅子さまは美智子さまから充分に『祈り』の重要性を受け継いでいらっしゃいます。とにかく宮中祭祀は肉体的負担があまりにも大きい。特に女性皇族である雅子さまにとって、そのご負担は尋常ではありません。病気のお体で務められるほど、宮中祭祀は生半可なものではないのです」 皇室関係者が続ける。「女性皇族は、男性皇族より1時間ほど前に皇居に入り準備され、潔斎をされた後に、簡素な部屋で着替えられます。加えて、側頭部を大きく膨らませた『おすべらかし』のかつらを装着します。それだけで相当に重いのですが、古式ゆかしい装束が負担をさらに大きくする。何重にもなった着物を、多くのひもで結び、身にまとわなくてはなりません。衣装だけでも10㎏以上、装束すべて含めると15kgは優に超えます。 しかも、着物やひもは、ご本人は一切、触れてはいけない。身支度をすべて女官に任せなければいけません。 一般的な和装もそうですが、男性よりも女性の方が、身につけるものが多く、ずっと重いのが実情です。こうした出で立ちで宮中三殿をまわり、拝礼される。肉体的な負担は想像を絶するものがあります。 それだけの大きな負担である宮中祭祀をこなされてきた美智子さまが、宮中の儀式を知る関係者たちをして『超人的』と言わしめた所以です」 それほどの覚悟で臨まれた美智子さまでさえ、2009年に左膝の靱帯を傷められると、宮中祭祀を欠席せざるを得ない事態に見舞われた。テニスを再開されるほどに膝が回復されても、無念ながら宮中祭祀は諦めざるを得ない。それほどに女性皇族にとっては肉体的負担が大きいものなのだ。 そんな宮中祭祀が療養中の雅子さまにとって、どれほどの重荷になるかは想像に難くない。かつては「美智子さまは、宮中祭祀に臨まない雅子さまに否定的」という一部の報道があった。しかし、実際は真逆だ。「美智子さまほど、女性皇族にとっての宮中祭祀の過酷さを知る人はいません。雅子さまに対しても『無理はいけない』という立場を貫いてこられました。 陛下も皇太子時代の’06年の誕生日会見で宮中祭祀の大切さについて触れた後、『雅子が携わるのは、通常の公務が行えるようになってからということになると思います』と明言されました」(宮内庁関係者) 雅子さまは昨年12月、皇太子妃として最後に迎えられた誕生日に公開された文書で、《これからも両陛下のお導きを仰ぎつつ、少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております》と表明された。上皇上皇后両陛下が大切にされてきた祭祀への思いも当然、その中に含まれるはずだ。「実際、雅子さまがご病気で祭祀に出席することができない期間にも、たとえば歴代天皇の節目の式年祭の時には、各天皇のご事蹟(功績や業績のこと)のご進講を受けられるなど、祭祀に臨む準備やお心づもりを続けられてきました」(前出・皇室関係者) 雅子さまは着々と宮中祭祀の「後継者」としての準備を整えられてきたのだ。あとは、お体がそれに耐えられるかどうかだろう。※女性セブン2019年6月20日号
2019.06.08 16:00
女性セブン
雅子さま、療養生活の決定打は当時の宮内庁長官の言葉か
雅子さま、療養生活の決定打は当時の宮内庁長官の言葉か
 1993年ご成婚され、2001年に愛子さまをご出産なさった新皇后雅子さま(55才)。そんな雅子さまが、2003年からご療養に入られた原因とはなんだったのか? 雅子さまは「適応障害」と宮内庁から発表された。 決定打となったのは雅子さまが退院した後、当時の湯浅利夫宮内庁長官が発した言葉だった。《皇室の将来を考えると、秋篠宮さまに3人目を希望したい》 精神科医の片田珠美さんは、この発言が雅子さまを極限まで追い詰めたと指摘する。「完璧主義で努力家の雅子さまは、それまで自らの努力で成功体験を積み重ねてこられました。それなのに出産後、愛子さまが男児でなかったことで第2子出産の期待が高まり、さらに湯浅長官の発言によって“自分は見捨てられた”との絶望感やストレスに見舞われたはずです」 そもそも雅子さまは「適応障害」でなかった可能性が高いと片田さんが続ける。「適応障害とは環境に適応できず情動面や行動面で問題が出現する病気ですが、ストレス因子がなくなれば6か月以内に治るとされます。雅子さまの病状は長すぎるので、適応障害とするのは適当ではありません。 私は出産によるホルモンバランスの急激な変化に育児不安が重なった『産後うつ』に湯浅長官の不適切発言などのストレスや愛子さまの学校問題などが重なり、うつが長期化したとみています。うつと診断すると本人の性格に原因があるとされかねないため、環境を原因とする適応障害と発表したのではないでしょうか」 そもそも一度目のご懐妊報道(1999年12月10日の朝日新聞朝刊)は、宮内庁内部の雅子さまに近い者からのリークだといわれている。というのも、非常にデリケートな基礎体温や尿検査といった情報までもが事細かく報じられたからだ。なお、雅子さまはこの報道後は流産された。 また、愛子さまの公園デビューの時(2003年5月)も、お忍びのつもりが、ふたを開けてみれば一部の報道機関や一般人までもが大挙する大騒ぎに。警備面から強く反対していた宮内庁は、お忍びは難しいという状況をあえてつくり出すため、情報を漏らしたといわれている。 こうした度重なる出来事に、両陛下は宮内庁に対する不信感を強め、雅子さまはますます孤立を強いられたのだった。◆そして、ご快復へ その後の病状は一進一退だった。2008年4月、愛子さまが学習院初等科に入学されると、雅子さまの笑顔がよく見られるようになった。2009年1月には美智子さまの名代として宮中祭祀に出席され、その後の快復が期待された。 だが2010年3月、やんちゃな男児が愛子さまや他の児童に乱暴な振る舞いをした「いじめ問題」が発覚すると、雅子さまは1年9か月続く「同伴登校」を開始される。 2014年4月に学習院女子中等科に進学された愛子さまが遅刻と欠席を繰り返すと、雅子さまの体調が悪化して公務復帰が滞るようになった。「雅子さまと愛子さまは『母子一体感』が非常に強く、自立と依存の葛藤のなかでさまざまな不具合が生じます。超エリートで完璧主義の雅子さまとしては、育児も100点満点でないといけないと思い込み、愛子さまが不安定になればなるほどご自身を責めたり、追い込んだりしてしまったのかもしれません」(片田さん) 雅子さまは2003年12月以来、15年の長きにわたって療養が続く。この間、かつてのユーモアやお気遣いは影を潜めたが、それでも精一杯、自分らしくあろうとされたことを本誌・女性セブンは目撃している。「2013年4月のオランダご訪問の初日にスキポール空港に到着された際、お出迎えの方々にご挨拶された後、雅子さまはすぐお車に乗り込もうとされた皇太子さま(当時)を呼び止められ、報道陣に向かってお手振りをしてくださいました。一般奉迎がいない状況では大変珍しい出来事です。ご体調がすぐれないなかの海外訪問で雅子さまもおつらいでしょうに、報道陣への細やかなお気遣いに驚きました。 それに半蔵門ご通過取材の際、他の皇族のみなさまとは違い、雅子さまは必ずといっていいほど車の窓を開けてくださいます。2009年8月の那須御用邸では、ご乗車されてからペットの犬の手を振られるチャーミングな一面も見受けられました」(女性セブン皇室記者)※女性セブン2019年5月30日号
2019.05.21 07:00
女性セブン
雅子さま 見た目ばかりが注目され戸惑い、お世継ぎ期待に重圧
雅子さま 見た目ばかりが注目され戸惑い、お世継ぎ期待に重圧
 新皇后となられた雅子さま(55才)。誰もがうらやむエリート街道を歩まれてきたが、皇太子妃となってからは苦難も続いた。 待望の第1子である愛子さまが誕生したのは2001年のこと。ご成婚から8年目のことだった。 順調な育児ぶりをうかがわせた雅子さまだが、事態が急変する。2003年12月、体調を崩された雅子さまは帯状疱疹と診断され宮内庁病院に入院し、長期療養に入られた。翌年5月、欧州3か国訪問前の記者会見で天皇陛下は、衝撃的な発言をされた。《それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》 2か月後、宮内庁は雅子さまが「適応障害」であることを発表した。 かつて雅子さまと同じく民間から皇室に入られた上皇后美智子さまも、天皇陛下と秋篠宮さまの育児などで新風を吹かそうとして強固な反対に遭われた。 華々しいキャリアを誇り、皇太子妃となってからもユーモアと気遣いを忘れなかった雅子さまを長期療養に追い込んだのは何だったのか。精神科医の香山リカさんは、「ご成婚時から心配はあった」と振り返る。「均等法の施行後、女性の社会進出のシンボルのような雅子さまが、古いしきたりのある皇室に嫁ぐことには期待と不安の両面がありました。 当初は雅子さまのキャリアが皇室の国際親善に生かされましたが、次第にファッションやしぐさ、表情ばかりが世の中から注目されるようになり、肝心の“何をされているのか”が顧みられなくなった。 それまで学力やキャリアを評価されてきた雅子さまが皇太子妃の役割をこなそうと懸命に努力されても、実力ではなく容姿やファッションばかり取り沙汰されたことには、相当な戸惑いを感じられたはずです」 最大の重圧となったのが「お世継ぎ」の期待だ。「ご結婚3年目あたりから宮内庁内部で『そろそろお世継ぎを』の声が増し、雅子さまが望まれた海外訪問をストップする動きが出始めました。海外の首脳などが『ぜひ皇太子夫妻のご訪問を』と希望しても宮内庁は“NO”を貫いた。皇族になられてからも海外訪問に期待を寄せられた雅子さまとしては、内心忸怩たる思いだったはずです」(皇室記者) ご成婚から6年半が経った1999年12月には朝日新聞が一面トップで「懐妊の兆候」を報じた。しかし同年末、雅子さまは流産された。「この年の12月初旬、雅子さまはベルギー皇太子の結婚式に出席するため、特例的に海外を訪問されました。しかし、つわりの症状が出たのがこの期間だったため、宮内庁内部から『長時間の飛行機移動が流産の原因ではないか』と海外訪問を批判する声があがりました」(前出・皇室記者) この批判は的外れと言わざるを得ない。産婦人科医の松村圭子さんが指摘する。「一般的に長時間のフライトが妊娠初期に影響する可能性はほとんどありません。流産の原因は、母体側の理由よりも、胎児に染色体異常が生じている場合など、胎児側の異常が大半です」 前述の通り2001年に愛子さまが誕生したが、期待された男児ではなく、雅子さまへの風当たりはやまなかった。「しかも出産後、1年ほどは育児に専念することを希望した雅子さまに対し、宮内庁は、美智子さまが出産後8週間で公務に復帰した前例をもとに、わずか2か月の産休しか認めませんでした。こうしたストレスが雅子さまを追い詰めて、2003年末にとうとう倒れられたのです」(前出・皇室記者)※女性セブン2019年5月30日号
2019.05.20 07:00
女性セブン

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