◆復縁状もあった
殺害事件当日、宮崎県警は現場近くにある神戸山口組池田組傘下の志龍会本部をガサ入れした。付近の住民が目撃したのは、志龍会関係者と本田氏らの小競り合いだったのだ。
志龍会は元々六代目山口組石井一家だが、山口組の分裂に伴って昨年12月に神戸山口組池田組に移籍し、現在の組織名を掲げている。現場から逃走した実行犯もすぐに指名手配され、22日午後、志龍会傘下の2人が宮崎北署に出頭し逮捕された。
事件直後から、実は本田氏が志龍会と敵対する六代目側に復縁していたという話が浮上した。
「石井一家が六代目側と神戸側に分裂し、井根組としては本田さんのようなイケイケの人物に戻ってきてほしかったんじゃないか。本田さんが復帰したあと、神戸山口組に流れた一派に仕掛けていたという情報もある。本田さんは黙っていられるような性格ではないからね」(他団体幹部)
本田氏の復縁状も見つかった。出所は神戸山口組側で六代目側は認めていないが、1月12日付で、差出人は四代目石井一家若頭、三代目井根組・山本淳組長である。復縁者の姓は渡世名の木元となっていた。
だとすれば、本田氏の殺害は抗争事件であり、山口組分裂以降、六代目側の初めての犠牲者となる。5月31日、神戸山口組の有力団体である池田組若頭が射殺された際も、弘道会組員が出頭するまで、石井一家の犯行ではないかというがあった。池田組に組員が移籍した際に生じた軋轢が殺害に発展したという見立てで、火種は宮崎なのだ。