犯行の中心になった年長の2人は、地元のギャング・グループ『パズル』のメンバーだ。翼くんは数か月前に彼らとつきあうようになり、万引きを強要されたり、殴られたり、「根性焼き」と称して火のついたたばこを押しつけられたりしていたという。次第に嘘をついて会うのを避けようとしたが、それを彼らは逆恨みした。
東京・池袋から東武東上線急行で約50分。東松山駅や高坂駅周辺で、『パズル』のメンバーがたむろする姿が見られていた。
「5年ほど前から。週末の夜になると、駅の階段の下に赤いツナギにマスクをした若者たちが集まってくる。体格や顔つきを見ると、高校生ぐらいの年頃が中心で、たまに20~30代の大人も混じっていた。たばこを吸ったりしながら座っているだけで不気味。近くを通るのが怖かった」(女子大生)
「集団は少ない時で5~6人、多い時は20人以上。高坂駅近くのショッピングセンターでもよく見かけた。祭りや花火大会で“赤いアイテム”を持っている人に絡み、ヤキを入れていた」(地元の高校生)
◆女性や高齢者も標的にする“なんでもアリ”
翼くんは母親の地元である東松山市に、小学2年生の時に引っ越してきた。
「翼くんは3才上のお兄さんと双子の弟の3人兄弟。実の父親はお母さんの前夫のようです。両親は共働きで、母親は保険のセールスレディーでした。双子の弟は中学では学年で常に10番以内に入るほど優秀な子で、今は県内屈指の公立高校に通っています」(近隣住民)
翼くんは定時制高校に進学するも中退。その後は地元のコンビニで働いていた。翼くんの自宅周辺でギャング団とおぼしき少年たちがたむろするようになったのは、ごく最近のことだったという。
「5、6人が集まって騒いだり、バイクを走らせたり。翼くんはそれが嫌だったのか、自宅に寄りつかなくなった。連中が自宅におしかけることで、家族に迷惑をかけたくなかったのだと思う。彼は優しい子でしたから」(別の近隣住民)
『パズル』は「カラーギャング」の1つで、メンバーが赤いツナギや赤いバンダナを身につけていることから「赤ギャング」と呼ばれていた。
カラーギャングは1990年代半ばに都心部を中心に出現。アメリカのストリート・ギャングの影響だった。ロサンゼルスを舞台にした1988年公開の映画『カラーズ 天使の消えた街』(デニス・ホッパー監督、ショーン・ペン主演)では、実在する「クリップス」と呼ばれる青ギャングと「ブラッズ(血)」という赤ギャングの抗争が描かれているが、当時、ロサンゼルスには600ものカラーギャング組織が存在し、メンバーの数は7万人にも及んでいたという。
1998年に出版された石田衣良の『池袋ウエストゲートパーク』はカラーギャングの抗争を生々しく描いた小説で、2000年に宮藤官九郎脚本でテレビドラマ化。2000年代前半には新宿・歌舞伎町や池袋、渋谷などの繁華街にカラーギャングが溢れた。