驚いたのは、母の葬儀の朝でした。両親の家で僕たちが葬儀の支度をしていると、なぜか1台の個人タクシーが玄関まで迎えにきました。実は生前の母は毎月1回、大阪・なんば(当時)にあった新歌舞伎座へ舞台を観に行くことを楽しみにしており、葬儀の日がちょうど観劇予定の日でタクシーを予約していたんです。
まったく、最後まで周りを驚かせるハイカラな人でしたが、かといって、亡くなる間際まで人に迷惑をかけることは一切ありませんでした。それは、父も同じです。母の死後、父は「同居はしない」と頑なに言い張り、知り合いが運営する老人ホームに入居しました。
そこは健康な高齢者が入居する自由な施設で、父は喜んで自分の部屋に圧力釜を持ち込み、「健康食品だ」といって大豆や昆布を使った料理を自炊していました。入居から1年経った2004年1月、父の具合は急変します。朝食の時間に「いまは食べたくないので1時間後に起こして」と職員に伝え、そのまま静かに亡くなりました。
振り返れば、父も母も死ぬ前日まで自分の力で生きていました。掃除や洗濯も自らこなした。父は詩吟、母はカラオケが好きで、死の直前まで人生を楽しみました。毎日、近所にある緑地公園を散歩する2人の姿が、まぶたに焼きついています。
両親を看取ってから、「あんな最期を迎えたい」という気持ちが強くなりました。
僕がサッカー協会の常務理事だったこともあって、両親の葬儀には沢山の方に参列していただきました。それには感謝しきりですが、自分の時は、大きな葬儀をしてもらうことよりも、誰にも迷惑をかけず、その日を静かに迎えたいという気持ちが強い。両親の逝き方を真似できたら最高に幸せですね。
●かまもと・くにしげ/京都府生まれ。早稲田大学卒業後、ヤンマー入りし、251試合出場、202得点。サッカー日本代表として歴代最多となる国際Aマッチ76試合75得点を記録。日本代表が銅メダルを獲得した1968年のメキシコ五輪ではアジア人初の得点王となった。元サッカー協会副会長。
※週刊ポスト2016年10月14・21日号