実際に父が亡くなると、しみじみと父の死を考える暇もなく、葬儀や相続といった事務的な処理に追われました。
その後、何人かに「娘にとって父の死は、時間が経ってからジャブのようにじわじわと襲ってくるよ」といわれましたけど、“その時”はまだ来ていません(苦笑い)。
それより、「また怒られるんじゃないかしら」という気持ちのほうが強い。最後のほうは怒鳴らなかったけど、文句をいわれることが多く、脅威の余韻にいまも浸っています。
とはいえ、父が亡くなって1年以上経って、最近は「緩んでないか、私!」という危惧もあります。「調子に乗るな!」と本気で叱ってくれる人がいなくなると、どうしても自分に甘くなる。それは楽であると同時に怖いことですからね。
父を看取って肌で感じたのは、「人は理想通りには死ねない」ということです。自宅のベッドでポックリ死にたいといっていた父も、結局病院で長く寝たきりでしたから。
いつかは自分も死にます。私にもその時が来たら、はたしてスマートに息を引き取れるかどうか。実際に死の宣告をされたら、結構あがくかもしれないし……。
でも、できれば周りが「クッ」と吹き出すような死に方をしたい。「どうもお邪魔しました」といって死ぬとかね。
●あがわ・さわこ/東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、1981年にテレビデビュー。『筑紫哲也 NEWS23』、『報道特集』(共にTBS系)のキャスターを務める。2012年、エッセイ『聞く力』がベストセラーに。
※週刊ポスト2016年10月14・21日号