父が息を引き取ったのは9月中旬。73歳でした。東京に戻っていた私は臨終に間に合いませんでした。母と親戚、信頼する秘書たちに囲まれた父は、「後を頼むぞ」と言い残して亡くなった。私の何十倍も立派な父でした。
鳥取での葬儀には田中先生が駆けつけてくれました。葬儀後、田中邸にお礼に行くと「おい、青山斎場を予約しろ。俺は葬儀委員長をやると約束したんだ」と秘書の早坂茂三さんにいいつけて、東京の葬儀で葬儀委員長を務めてくれたのです。最初で最後の“田中派葬”でした。
そのお礼にまた目白まで伺うと、「再来年の衆議院選挙に出ろ。鳥取の葬儀に来てくれた人のところ、全員回ってこい。選挙の票はそこからだ!」と命じられました。私が躊躇すると、田中先生は「自分さえ良ければいいのか、このバカ者!」と一喝されました。父の死は、政治の道のスタートでもあったのです。
最初の選挙のプレッシャーは本当にキツかった。選挙前に飛行機で東京に行く時はいつも、「この飛行機、墜ちないかな」と心の中で願っていたほどです。
そんな思いをして政治家になったので、自分としてはこの先いつ死ぬか、どんな死に方をするかわかりません。ただ、本当に畳の上で終わることができるとすれば、「みなさん、お世話になりました。ありがとう」とお礼をいってお別れをしたいです。
●いしば・しげる/鳥取県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入社。父・石破二朗氏の死を受けて1986年、衆議院議員選挙で初当選。その後、防衛大臣、地方創生担当相などを務める。
※週刊ポスト2016年10月14・21日号