私は父に四六時中付き添っていたわけではなく、たまに様子を見にいく程度でしたが、最後は危篤との連絡があり、病院に駆けつけました。2006年8月16日のことです。
ベッドに横たわる父は徐々に呼吸が弱く静かになっていきました。私は父の呼吸が止まるまでを傍らでじっと見つめていました。
最後に“もうこれで終わりだろうな”と思えるような、とてもか細い息をして、父は旅立ちました。その瞬間は、何か特別な感情が込み上げてくるわけでもなく、「人間はこうやって死んでいくのだ」「息絶えるとはこういうことだ」と淡々とした思いで納得しました。86歳で老衰で死んだ父から、人間としての自然な死に方を学んだ気がします。
父が亡くなるまで、私は父とずっと離れて暮らしていましたが、父の死をすんなり受け入れることができました。つまり、親を介護したり、看取ったりすることを義務のように感じなくても、死というものは自然に受け入れられるということです。
親と子は本来それぞれ自立した生き物なのです。そういう意味で私は「親捨て」を主張しました。
私の理想の死に方は、父のように自然に息絶えることです。本来、親と子は、近くに住んでいようが自然に放っておくという関係が正しく、それが親子のマナーです。私自身、そうやって自然に最期を迎えたいと思っています。
●しまだ・ひろみ/東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、宗教学者・柳川啓一氏の影響を受け、宗教学者に。現在はNPO法人葬送の自由をすすめる会会長などを務めている。2014年発売の『0(ゼロ)葬 あっさり死ぬ』、2016年発売の『もう親を捨てるしかない』が話題。
※週刊ポスト2016年10月14・21日号