パラダイス山元氏は、マンボミュージシャンとしての活動のかたわら、大好きな餃子の研究をはじめて三十有余年。スーパーの新商品から全国の有名無名店、さらには中国、ロシアまであらゆる餃子をその舌で味わいつくし、会員制餃子店「蔓餃苑」をオープン。オーナーシェフとして腕をふるう。人は彼を“餃子の王様”と呼ぶ。そんな同氏が餃子への熱き思いを語る。
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かつてはラーメンのサイドメニューなどとして、「とりあえずビールと餃子」と脇役扱いされてきた餃子。ラーメン、うどん、カレーと消費され尽くした感のある“食ブーム”の中でも、餃子そのものにスポットが当たることは、これまでほとんど無かった。だが、今年に入って、とうとう餃子がキテいるのだ。
日本では、餃子は戦後、中国から渡ってきた食べ物とされる。しかし、実際中国に行ってみると、日本の中華料理店でよく目にする焼き餃子はほとんど存在しない。中国では、水餃子や蒸し餃子が一般的である。
中国のレストランのメニューに焼き餃子は「日式鍋貼」などと表示されている。“これは日本で生まれたスタイルの餃子ですよ”という意味だが、その姿勢はなんとも潔く感じられる。
何十年もかけて、餃子のルーツを訪ねるべく海外へ渡航しているうち、意外な場所に辿り着いた。ロシア連邦のブリヤート共和国。シベリアの中央部に位置するバイカル湖の東側一帯に広がるその連邦国で、戦後多くの日本人捕虜が過酷な労働を強いられた。
冬はマイナス40℃にもなる厳寒の地である。そこで、パンなどと同様に主食として提供される「ブーザ」という食べ物を、何軒もの食堂で口にした。形は現代の餃子と同じ三日月型から、上に口が開いた小籠包のようなものまで様々。中身の餡は、豚肉と玉ねぎがほとんどであった。日本と同じ、「焼き餃子」のスタイルである。