で、ここから先は、その「やぐら」訪問のお話である。
大阪の地理はまったく疎いので、待ち合わせた地元の知人に連れられ、環状線寺田町駅で降りる。南口改札を出て、寂れてはいないけど賑わってもいない、のんびりムードの商店街を抜け、駅から数分で目的地に着く。
夕暮れの薄暗がりに、緑色の「やぐら」の看板が光っていた。アルミサッシの入り口をがらがら開けると、清潔感のある店内に4人がけの黒いテーブルが5卓。奥のほうが調理場。どちらもゆったりとしたつくりだ。
『深夜食堂』の「めしや」はコの字型のカウンターのみで、席と席がぎゅうぎゅうに詰まった古めかしい店なのだが、ルーツの今はぜんぜん違っていた。
ということについては、ネット情報でも掴めていたので、別段、驚くに値しない。やや意表を突かれたのは、「いらっしゃいませ」と迎い入れてくれた店主の山口勝也さんが、とってもにこやかだったことだ。奥さんの京子さんは、もっと、にこやかだった。
それがなぜ意表を突かれる感じなのか、『深夜食堂』ファンならおわかりだろう。小林薫演じる「めしや」のマスターは、基本的に、コワモテで無愛想なのだ。写真の山口さんのような笑顔はありえない。
「あのう、いきなりすみません。このお店は『深夜食堂』のモデルだったと聞きまして。それって本当ですか?」
失礼なことに、料理を注文する前に質問してしまった。でも、山口さんは、にこやかに「そうですよ。深夜やっていたのは京橋のとき」と答えてくれた。
以下は、予約なしで訪れた「やぐら」の店主に、アポなし取材を思いつきで敢行し、その結果として得た情報である。
山口さんは1953年生まれ。学校を出てから、いくつかの飲食店で働き、料理を覚えたという。そして、最初の自分の店である「やぐら」を大阪の京橋に開いたのは1982年のこと。まだ29歳だった。
「最初は夕方の5時からやっていたんですよ。そしたら、だんだんタクシーの運転手さんのお客が増えて、遅くまでやって言われまして。で、1年に1時間くらい開店時間が遅れていき、最終的に夜12時からになったんです。営業は朝まで」
「その頃の店を、桂雀三郎さんが、歌にして。何年やったかな。『やぐら行進曲』って自費制作のCDにしてくれて、それを安倍夜郎さんが聴いていて、あのマンガにした、ということでね」
桂雀三郎(1949年生まれ)は古典も新作もこなす本格派の落語家であり、コミックソングの歌手でもある。代表曲『ヨーデル食べ放題』は関西で大変有名とのことだが、その雀三郎が「やぐら」の常連で、店を面白がって、歌にした。『やぐら行進曲』(作詞・作曲・編曲:りぴ~と山中)で、店はこう描かれている。
<晩の12時のれんがかかりゃ 時を忘れたシンデレラもやって来る
深夜タクシーの陽気な運ちゃんも 仕事あいまに一杯呑んで行く
やぐら やぐら やぐら 串カツ専門店・テン・テン♪>
自費制作リリースは1996年。このCDに収められていた『やぐら行進曲』は、2000年リリースのライヴ・アルバム『雀肉共食』にも収められ、そのアルバムをまだ広告会社の会社員だった安倍夜郎が聴いていた。
脱サラしてマンガ家を目指したはいいが、なかなか作品が掲載されず、どうしたものかと思案していた頃。安倍夜郎は曲を思い出し、夜中の12時から開く店は面白いのではないか、その店がメニューはなくても客に頼まれた料理を作るという設定なら連載になるのでは、と考えた。そうして『深夜食堂』は生まれた。