「KEEP OUT」と書かれた黄色い規制線が、閑静な住宅街に似合わない──。玄関には白い花束が手向けられ、通りがかりの初老の男性がじっと手を合わせている。話を聞くと、悲しみよりも驚きが勝ったという。
「先日会った時も元気でしたから。まさか、と。こんな最期があるんですね。不謹慎といわれるかもしれませんが、ひとつの奇跡だと思います」
11月21日夕刻、東京・板橋区に住む老夫婦、金崎美隆(よしたか)さん(97才)と妻のてるさん(93才)の遺体が自宅で発見された。
この数日、2階の電気がついたまま外出が途絶え、近隣住人が民生委員を通じて交番に届け出た。鍵はかかっておらず、板橋署員が駆け込むと、パジャマ姿の夫婦が布団の上で眠るように息絶えていたという。
司法解剖の結果、死因は病死。4日ほど前の同時刻に亡くなったものと見られている。台所の炊飯器はご飯が炊き上がった状態で、食卓には梅干しが用意してあった。統計学上、同日同時刻に夫婦が病死する確率は10億分の1以下といわれる。文字通り共に生き、共に死んだふたりの絆に胸が詰まる。
◆毎日、旦那さんに感謝していた
朝鮮半島で三・一独立運動が勃発し、ガンジーが非暴力不服従運動を始めた1919年に美隆さんは生まれた。
当時、日本人の平均初任給は40円。板橋区常盤台の小さな2階建ての家で、両親と弟の4人家族は赤貧の生活を送ってきた。
「この辺りは1930年代に、二軒長屋が建ち並んでようやく開けた土地なんです。てるさんが美隆さんに嫁いできたのは、その後くらいじゃないかな。結婚前は銀座でOLをしていたそうです。いつも化粧をきちんとして、服も洗練されていたし、素敵なかたでした。弟さんが独立した後は、長く両親と夫婦の4人で暮らしていたと聞いています。美隆さんは普通のサラリーマンで、一家は質素な生活を送ってきました」(近隣住人)
美隆さんの両親が亡くなった後、自宅には夫婦ふたりが残された。てるさんが常連だった喫茶店『カフェゆき』の店主・中島輝之さん(64才)が語る。