ソウル中心部から車で1時間ほどの距離にあるニュータウン。紅葉も佳境を迎えた山々の麓に位置する一帯は、中小の工場が建ち並ぶ。どうやらタオルやマネキンなどが作られているようだ。
だが、その工房は、黒いビニールで覆われ、あたかも外界を遮断するようだった。ベルを鳴らすも、反応はない。工房の主はキム・ウンソン、ソギョン夫妻である。韓国の市民団体の間で、英雄視される存在だ。工房で作られているもの。それは、慰安婦問題における日韓の捻れを象徴するようになった少女像である。
目下、ソウル中心街の光化門広場には朴槿恵大統領の退陣を求めて数十万人もの市民の怒号が飛び交う。そこから徒歩数分の距離の日本大使館前に少女像はある。筆者が訪ねた2016年11月中旬、少女像は黄色の毛糸の帽子を被り、首には茶色のマフラー、肩からは黒い布をコートのようにまとっていた。
2015年末の日韓合意後、その履行を巡る最大の障壁は日本大使館前の少女像の撤去問題に他ならない。
像が設置されたのは2011年12月、毎週水曜日に大使館前で、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が開く水曜集会の一千回目にあたる日のことだった。以来、日本政府は、外国公館の安寧の妨害や威厳の侵害を防止するよう定めたウィーン条約に違反するとして韓国側に撤去を求めてきた。
さて、話を戻そう。この少女像を作ったのもキム夫婦であれば、去る10月に、上海師範大学に設置された少女像も彼らの手によるものである。
いや、夫婦が手がけた少女像はまだある。韓国国内で30か所以上、海外でも米国2か所、カナダ、オーストラリア、中国と合計5か所に少女像が設置され、慰安婦問題の宣伝に大きな役割を果たしてきた。
複数の韓国メディアの報道を参考に来歴を辿る。2人は、ともにソウルの中央大学芸術学部出身。民主化運動が激しかった1980年代、同大学でともに彫刻を学び、社会性の強い作品を多く手がけた。
独立運動の活動家の記念碑や2002年に米軍の装甲車に轢かれて死亡した女子中学生の追悼碑、ベトナム戦争で韓国軍兵士が行った民間人の虐殺をテーマにしたピエタ像が代表作だ。
●文/織田重明(ジャーナリスト)
※SAPIO2017年1月号