なんとか治療をしてくれる医師はいないかと病院を訪ねたが、日本でこの難病の知識が充分にある医師は少なかった。
平澤さんは、最後の望みをかけて移植手術を決意した。だが、それも難しかった。日本で移植するなら数年待ちと言われた。待っていたら自分の命の方が先に尽きてしまう。そんな中、「肝臓移植が得意なアメリカ在住の日本人医師がいる」という話を耳にした。
それが加藤さんだった。都内のホテルで講演会を開くため来日するという話を聞いて、平澤さんは駆けつけた。加藤さんは、平澤さんの病状が書かれたデータを見て、こう言った。
「うん、大丈夫。私が治すから、すぐにアメリカにいらっしゃい」(加藤さん)
「もう誰も助けてくれないと諦めかけていたのに、この先生は笑顔で大丈夫と言っている。その言葉だけで、この人になら命を託せる…そう信じました」(平澤さん)
友人たちが募金活動を行ってくれて、集まった金額は、3967万24円。アメリカに飛ぶと、検査後すぐにドナーが現れ、15時間に及ぶ長時間の手術の結果、肝臓移植は成功した。体内の約80%の血液4000ccを輸血する大手術だったという。
「先生の技術はもちろん、人間性も信頼しているので、安心して命を預けられました。せめて子供たちが20才になるまでと思っていた自分の命が今も続いていることは、本当に夢みたいです」(平澤さん)
◆なんでうちの子だけ…。「悲しくて仕方ない」
「プールで泳いだよ!」と元気に笑うのは、小学6年生のセイドマハムード・ヌウフくん(12才)。2年前、母親の容子さん(48才)から、小腸を1.5mもらう生体移植手術を加藤さんが行った。
病名は『ヒルシュスプルング病類縁疾患』。生まれたときから腸管の神経節細胞が欠如しており、胃から下の臓器が充分に機能しない難病だった。
当時、容子さんは国際結婚をして、バーレーンに住んでいたが、3才と1才の息子を現地に残し、ヌウフくんと2人で帰国した。
最初に選んだ地元・九州の病院は、点滴をしながら今の状態を温存する処置を施した。ヌウフくんは点滴なしでは生きられず、鼻から管を通し、24時間点滴の器具を小さな体に背負い、入退院を繰り返した。