容子さんはパートをしながらヌウフくんと2人で暮らした。帰国から6年後、点滴を刺せる静脈が残り2本との宣告を受ける。温存処置による生命維持は、もう限界のところまできていた。この時、ヌウフくんは7才。
「ヌウフにとって、点滴だけが命綱。それなのに、なんでうちの子だけ、なんで私だけ…。私、何か悪いことをしたのかな…悲しくて仕方がありませんでした」(容子さん)
そんなとき、5年前に「この子は移植すれば元気になるよ」と言っていた医師がいたことを思い出した。
「それが加藤先生だったんです。知り合いの医師を訪ねたついでに、私たちの病室も訪れたようで、当時2才の小さなヌウフを見て、すでに移植を提案していたんです」(容子さん)
ネットで調べると講演で福岡にやって来ることがわかり、すがる思いで加藤さんに会いに行った。
「先生は、“大丈夫。東京の慶應病院(慶應義塾大学病院)にいらっしゃい。お母さんの腸を移植しましょう”と言いました」
加藤さんは慶應病院小児外科の医師たちと共に、東京で生体移植の手術も行っていた。
「でも…私は迷いました。東京に行けば、長年暮らした九州を離れ、ヌウフは転校することになります。東京には知り合いもいない。新たな環境に彼も私もなじめるのか…」(容子さん)
そんな不安を見透すかしたかのように加藤さんは、静かにこう言った。
「2人だけなら、どこにだって行けるでしょう」(加藤さん)
容子さんは、そのひと言で覚悟を決めた。
「母親の私が弱気になって、諦めてどうするの。先生の言葉は、きっとそういう意味だったんだと思います。2人で東京に行って、手術を受けようと決意しました」(容子さん)
東京の慶應病院で容子さんの小腸を1.5m分ける生体移植は無事に成功した。現在、ヌウフくんは点滴を外し、元気に走り回っている。容子さんは彼の成長をとても楽しみにしている。
※女性セブン2017年1月1日号