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2016.12.18 16:00  女性セブン

さだまさし 永六輔のバトンを繋いでいくのが自分の使命

永六輔さんとの対談集を出版したさだまさし

『関白宣言』『案山子』など有名な曲は数知れず。NHKの不定期深夜番組『生さだ』では軽妙なトークとともに番組を盛り上げる。デビューから40年以上経った現在でも精力的に活動を続けるさだまさし。10月に発生した鳥取県中部地震の被災地への慰問から、鳥取から放送した『生さだ』の舞台裏まで密着した。

 鳥取県中部を襲った震災からおよそ1か月…その爪痕を残すブルーシートはまだ、あちこちに残っているものの、「あらっ、だれかと思ったら!」、「テレビで見るより、いい男だねぇ」…あっちからも、こっちからもかかるはずんだ声に、「でしょう!?」と、被災地を歩くさだまさしの顔にも笑みがこぼれた。

「鳥取にはグレープ時代から思い出がいっぱいあって。そこが被災したと聞いて、とにかくまず行かなきゃと。ぼくら歌い手にできるのは、一緒に泣くことと、応援すること、歌でみなさんを元気づけることくらいですから。今回はそれにプラスして、ほんの少しですけど、全国のみなさんからお預かりした支援金をお届けにきたんです」

 2015年夏、さだが中心になって設立された「一般財団法人 風に立つライオン基金」――ささやかで偉大な活動を行う人を応援するために、災害で苦しむ人たちのために、小さいけれど、目に見えるカタチで支援するためのプラットフォーム。そこには、“ぼくたちは忘れていませんからね!”という強いメッセージが込められている。

「だって、人間にとっていちばん悲しいのは、忘れられてしまうことだから…」

 十重二十重に人が溢れ、20分遅れではじまった倉吉市上灘小学校体育館での「さだまさし被災地とっとりコンサート~がんばれ鳥取中部~」。控室として用意された校長室で、さだは、ぽつんとつぶやいた。

「でもこれは、永六輔さんに教わったことなんですけどね」

 さだまさしと永六輔さん――2人の関係は、さだがまだデビューする前、40年以上も前に遡る。

「最初の頃、どこでどう間違えたのか、永さんはぼくのことを落語家をめざしていると思っていたらしくて(苦笑)。でもほんと、人としての生き方から、知識や知見、ものづくりのノウハウまで、いろんなことを教えていただき、それが今、ぼくの財産になっているんです」

 その永六輔さんから手渡されたバトンを次の世代につなぐために、さだは、2つの作品を世に送り出した。1つは、この日の深夜、NHK鳥取放送局から生放送された『今夜も生でさだまさし』(NHK総合テレビ)のオープニングで歌った『上を向いて歩こう』など、永六輔さん作詞の歌をカバーしたアルバム『永録 ~さだまさし 永六輔を歌う~』(ユーキャン)。

 そしてもう1つが、永六輔さん最後の対談集『笑って、泣いて、考えて。永六輔の尽きない話』(小学館)だ。

「その永さんがぼくに言ったんですよ。いいか、まさし、人間は2度死ぬ。まず死んだ時。それから忘れられた時だって。だから、永さんという偉大な人が遺した作品や魂のバトンを次の世代につないでいくことがぼくの使命なんだと思うんです」

 体育館の床に敷かれたゴザの上で、肩を並べて一緒に歌う50代のご夫婦。感極まり涙をこぼすお年寄り。コンサートそっちのけで走り回る子供たち…。『案山子』から『Birthday』『無縁坂』『秋桜』『吾亦紅』と続き、『関白失脚』で、さだが、サビの“がんばれ、がんばれ、がんばれ”を、“がんばれ、倉吉、がんばれ”と歌うと、会場中が一緒になって、“がんばれ”の大合唱。

 永さんからさだに、そして、さだからみんなに――手渡されたバトンを天高く掲げたその顔には、笑顔がはじけていた。

※女性セブン2017年1月1日号

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