ぽん太は15歳。新聞や雑誌にも取り上げられる評判の美人だった。歌人の斎藤茂吉は『三筋町界隈』で、写真で見たぽん太の印象を〈世には実に美しい女もいればいるものだと思い、それが折にふれて意識のうえに浮きあがって来るのであった〉と記している。
大阪の借家に暮らしはじめた清兵衛とぽん太だったが、食い詰めて東京に戻り、1907年に本郷で春木屋という写真館を開く。しかし再起はできなかった。
清兵衛とぽん太は12人の子どもに恵まれたが、生活に困窮して2人を養子に出した。作家坪内逍遙の養女になった娘のくにが『父逍遙の背中』で実父の埋蔵金について触れた一文が、清兵衛の人柄を物語る。
〈凋落した生活の中で、どうしてこのお金に手をつけなかったのか、不思議でなりません。思うに自分で蓄えたお金のことすら忘れてしまうほど経済に無頓着だったとしか考えようがありません〉
※週刊ポスト2017年1月13・20日号