医療の進歩により、がんになった後も以前と変わらぬ人生を送れる人が増えている。それならば、もっと明るく、あっけらかんとがんを語ったっていいではないか。「人生が好転した。がんになって本当に良かったと思っている」と言い切るのはピーコ氏(72)だ。
ピーコ氏の左目を皮膚がんの一種「マリグナント・メラノーマ(悪性黒色腫)」が襲ったのは1989年8月のことだった。目の中での発症は「30万人に1人」と言われるほど珍しいケースだった。
「最初の異変は原稿用紙のマス目が見えなくなって原稿が書けなくなったこと。病院で診てもらったら悪性がんだった。目の直径って2.5cmしかないけど、私の腫瘍は1.4cmもあった。
医師から“眼球を全摘しないと視神経から脳に転移するかも”って言われたから、即断で“左目を取ってください”ってお願いしたの。後日、その医師から“あの時のあなたは男らしかった”と褒められたわ(笑い)。“汚いオカマの双子”でデビューしたから、メンタルが強いのよ!」
眼球を支える6か所の筋肉と脳に繋がる視神経を切断して左眼球を摘出。幸い転移はなかったものの、術後には抗がん剤治療による苦しみを味わった。
「髪がゴッソリと抜けた時は死にたいと思ったわ。鏡を見たらオランウータンにしか見えなかったの。オカマでハゲでオランウータン……生きていくにはかなり厳しい状態。死のうと思ってベランダに行ったけど、2階だったから死ねないって思って引き返した」
左目を失ったことで、階段の段差や絨毯の継ぎ目に躓いたり、お酒をうまく注げなかったりと不自由な思いもした。銀座の街中でクシャミをした拍子に義眼が飛び出てしまったこともあったという。