世界が驚嘆した大番狂わせ(写真/AFLO)
ラグビーW杯の熱狂──思い浮かぶのは、2015年の南アフリカ戦での“大金星”だろう。格上の南アに勝った「ブライトンの奇跡」は「スポーツ史上最大の番狂わせ」と呼ばれ、JAPANラグビーの飛躍のきっかけとなった。日本に世界水準のラグビー理論を持ち込み、「ブライトンの奇跡」を起こし名将エディー・ジョーンズ。2024年、9年ぶりに日本代表ヘッドコーチ(HC)に復帰したエディーが、10年前に世界を驚かせた偉業と現状のチームを語り尽くす。
──2015年W杯の「ブライトンの奇跡」は、日本ラグビーにとって、どんな意味を持つのでしょう。
私は、あの勝利を奇跡だとは思っていません。W杯の組み合わせが決まった2013年から南アフリカ戦に向けて緻密なプランを立て、選手たちはタフな環境で練習を繰り返し、どの国よりも、誰よりも、ハードワークをした結果だったのですから。
──エディーHCは、2012年に就任してから「歴史を変える」と言い続けてきました。手応えを感じたのはいつですか?
アシスタントコーチとして初めて日本代表を指導した1996年に、選手たちは高いポテンシャルを秘めていると感じました。にもかかわらず、“日本人らしさ”を活かせていなかった。ラグビーにおける日本人らしさとは、プレーの速さ、独創的なアタック、フィットネス、そして勇敢さ。選手が日本人らしさを信じられれば、素晴らしいチームになると確信していました。
ただし、彼らが歴史を変えられると本気で信じられるうえで必要だったのは、結果です。ブレークスルーは、2013年6月に成し遂げた史上初のウェールズ戦勝利でした。たとえば、田中史朗は日本ラグビーの未来を本気で危惧していました。彼は「子どもたちに、日本代表として活躍する夢を抱いてほしい」とずっと願っていたが、結果が伴っていなかった。そんななかでウェールズ戦勝利という成功体験を積み、日本ラグビーは一気に加速していきました。
──当時の日本代表はどんなチームでしたか?
チームには、田中、堀江翔太、五郎丸歩ら豊かな才能と経験を持つ選手が揃いました。彼らを統率したのがリーチマイケルです。選手たちは、リーチを何者にも怯まない“戦士”として、全幅の信頼を寄せていました。日本代表では日本人だけではなく、外国出身選手もプレーします。ニュージーランド出身でありながら高校時代から日本で暮らすリーチが、キャプテンとして異なる文化を融合し、化学変化を起こしてくれたのです。