稀勢の里の容態は国民的な関心事となったが、直後からその症状が厳重に秘匿された。
「稀勢の里本人はもちろん、親方や付け人もケガの状態を外部に話さない箝口令が敷かれていた。鶴竜(横綱)、照ノ富士戦を残して、“情報を与えたくない”という考えがあったのでしょう。当日夜になって強行出場という話だけは出回ったが、どのくらい深刻なのかはわからないまま。
対戦を残す陣営は翌14日目、稀勢の里の支度部屋の様子や土俵入りの時の状況をつぶさに観察していたが、痛そうな表情は見せない。テーピングはあるものの普段と同じように左腕は動いている。鶴竜との結びの一番が行なわれるまで、情報は全くなかった」(後援会関係者)
この箝口令によって影響を受けたとみられているのが、14日目の結びの2番前、照ノ富士と琴奨菊(関脇)の取組だ。
大関を陥落し、春場所で10勝を挙げての返り咲きがかかる琴奨菊は、14日目までで8勝5敗。1敗もできない状況だった。
「琴奨菊は序盤に日馬富士、鶴竜の2横綱を破ったものの、ガチンコ平幕たちに土をつけられた。
対する照ノ富士は1敗同士で稀勢の里と並んでいた。仮に稀勢の里の容態が非常に悪く、2連敗や千秋楽の休場が濃厚であれば、2敗力士はいないのだから、相手を思いやる“物わかりのいい相撲”になってもおかしくない。ただ、稀勢の里の左肩の容態が全くわからないままだった」(同前)