◆日本教の殉教者
空気の支配が起きる理由について、山本は『「空気」の研究』で、西洋の一神教と日本のアニミズムの違いに答えを求めていますが、ここでは別の視点から論じてみましょう。
山本は『日本人とユダヤ人』で、日本人は日本教徒であると論じていますが、中でも、西郷隆盛についての指摘が面白い。
山本は「再び、日本教徒について」と題された一文で、政治や外交の天才だった勝海舟が、自分よりも懐が深く、人間的な魅力を備えた人物として西郷隆盛を手放しで褒めている。では西郷とは何者かというと、政治家でも軍人でもなく、「聖者」「殉教者」であるとしています。
西郷は、征韓論で破れ、負けると知りながら、食い詰めた武士階級に担ぎ出されて西南戦争を戦い、死にました。それを山本は「殉教」と呼びます。それも、彼こそ日本教の殉教者だと。
ここで、日本教とは何か。簡単には言えない概念ですが、私はこう捉えています。ヨーロッパにおける基本的な思想は終末思想であり、宇宙や世界には終わりがあるが、一方で人の命は永遠であると考えます。そして今こそが終末期であるから――つまり近く世界が終わるから、彼らは宗教に殉じ永遠の生命を求めるのです。
それに対し、西郷隆盛に象徴される日本教は逆です。宇宙や世界は永遠に続くが、自分の命はせいぜい50年でちっぽけなものに過ぎない。最終的には永遠の宇宙のなかに自分も回収される。だから、西郷は、平然と死を受け入れることができます。また、宇宙という大きな力に、人は抗えないという思考が、日本独特の「空気」の形成に寄与しているとも言えるでしょう。