◆自然に怒りを感じる人はいない
この日本とヨーロッパの違いが端的に現れるのが、大きな天災が起きたときです。これはイタリアに留学していた知人の学者から聞いた話ですが、東日本大震災のような災害が起きると、ヨーロッパの人々は激しい怒りにとらわれ、神に対し、誰が何をしたらこのような罰を与えるのかと問い糾すといいます。
一方の日本人は、自然に怒りを感じたという人はほとんどいなかったはずです。人の力が及ばない天の定めに対する諦念や無常観を感じ、そこから鎮魂へと転じていったように見えます。ここにこそ、日本教の神髄があります。
山本が西郷に仮託して言いたかったのは、人の命は短くて儚いが、宇宙の流れの中にいるということです。西郷は清く潔く命を捨てた人であり、なぜ彼がいまだに日本人に慕われ続けているのかという問いに対する回答もここにあります。
同時に、世界の中でも類い希な日本教という宗教が、日本人のなかに強固に確立されているということを示唆しています。
キリスト教思想家の内村鑑三は、西郷はクリスチャンと同じである、殉教者であると述べていますが、山本はそれに留まらず、日本教という独自の理論を打ち立て、日本とヨーロッパの違いにまで論を広げています。卓越した思想家と言えるでしょう。
単純に思想を右か左かで分ける時代は終わりました。山本が西郷を、丸山が福沢を読みこみ、同じ結論に到達したということは、歴史的なスパンから物事を見る重要性を示唆しています。
山本七平は“在野の人”であるがゆえに、研究者の間では軽視されがちですが、まぎれもない思想家であり、再評価されてしかるべきと考えます。(談)
【PROFILE】せんざきあきなか/1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。日本大学危機管理学部教授。主な著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』。
※SAPIO2017年5月号