〈わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた〉〈店の中は暗いけれども、その暗さは暗さと明るさを対比して暗いのではなく、泣く、泣く泣く、暗さを追い出そうという糸など紡がれぬままに、たとえ照明はごく控えめであっても、どこかから明るさがにじみ出てくる〉……。
「カント通り」の書き出しである。「なく」「いと」など、音たちは文字に定着するまでに自由な浮遊を許され、また、目の前の事物を言葉に置き換えると、そこには当然、ズレが生じた。
「周囲の音を完璧に記述することはほぼ不可能ですよね。でもそれを書いた瞬間、それは自分の世界になるし、どこまでが頭の中でどこからが外界かわからなくなる感じも含めて、私はものを書く行為だと思うのです」
さて、その喫茶店であの人を待つわたしは、壁際に座る女性客を勝手に〈ナタリー〉と名付け、注文したグリーンピースのスープを眺めては、同名の自然保護団体から指弾される日本の捕鯨について考えたりする。そんな時、耳に飛び込んできたのが、〈しぇるしぇ〉というフランス語だ。〈脳の正面にいるゴールキーパーの手をすり抜けて、入ってきたこの「しぇるしぇ」をどうしていいのかわからないまま、わたしはスープを食べた〉
「ベルリンにいると、東京より多くの言葉が耳に入ってくる気がします。まず店で大声を出すのを恥じる日本人と何でもタブーなく話すベルリン人では声量が違う(笑い)。ほかにもベルリンが東京と違う点として、町なかには大戦が昨日終わったのかと思うほど歴史の跡が残され、人名の付く通りが多い。それは、銅像よりは日常的に名前を口にするとか、さりげない想い方がよしとされるから。
そもそもベルリン自体が歴史に翻弄された町なので、移民排斥的な空気も比較的薄い。人に何か言われる前に口を噤むようになったら、町も人もお終いです」