しかし、メンバーの一人が悩んだ末に、約1か月後になって、父親に計画を打ち明ける。告白したのは刑務所を出て、社会に復帰した若者だった。
「父さん、仲間と共に1か月前に反党結社を組織した。私は(決死隊の)参謀長と書記を引き受けた。実は不安と後悔で連日、夜も眠れない」
報告によると、そう言って泣きついた息子に、父親は迷わず、保衛機関に自首するように説得した。この若者が自首したことによって、計画は発覚し、首謀者には「二度と息ができないように、峻厳な罰が下された」(保衛部幹部)とされる。
保衛部幹部は、事件の首謀者について「黄長燁の一族だ」と指摘していた。黄長燁氏は党国際部書記を務めた金総書記の元側近。体制に不満を覚え、1997年に韓国に亡命。2010年に死去するまで、北朝鮮批判の先頭に立った。
「こいつ(首謀者)は黄長燁のせいで一族が滅びたと考えるべきなのに、その責任を制度(体制)に転嫁した」と、保衛部幹部は批判した。