〈私は絶対に屈しない〉
陳は次々と集団訴訟を手掛けていく。暴力的、強制的に行われていた障害者への不法な税金の取り立てや、一人っ子政策のもと、これまた暴力的、強制的に行われていた人工中絶や不妊手術をやめさせるために。
ちなみに、人工中絶の方法がおぞましい。妊娠後期の胎児の頭に毒物を注入し、それでも生まれてしまった場合は医師や看護師が首を絞めたり、水に沈めたりしたというのだ。「毒の入った瓶が必要なら、われわれはそれを提供しよう。縄が必要なら、それも用意できる」。当時の当局のスローガンだ。
陳本人や家族、親族らに対する弾圧は苛烈を極めた。連行し、拘束し、尋問し、拷問し、家に帰しても軟禁し、監禁する……。結局、陳は2006年に「交通妨害」と「公共物損壊」という、逮捕のために考えられた罪状で逮捕され、裁判にかけられ、懲役4年3か月の実刑判決を下された。
釈放されたのは2010年9月。だが、故郷の村に帰った陳を待っていたのは軟禁という名の監禁、強力な監視だった。自宅から出ることも、客を迎えることも、外部と連絡を取ることも、新聞・テレビ・ネットに接することも、まったく許されなかった。〈中国という監獄の塀の外にはけっして逃れられないように思われた〉。