◆「祖父の横顔が忘れられない」
台北から車でおよそ一時間。桃園の郊外にあるチョンリーという場所に向かった。中は台湾でも最も客家が多く暮らす地域だ。
チョンリーの住宅街にある「桃園市余姓宗親会」のビルに行くと、入口に「風采堂」という大きな看板があった。世界中に広がる余姓の施設には常に「風采」が名前に使われる。いわば余姓の目印だ。
同会名誉顧問の余遠新は1990年代に余姓の家系図を作るとき、台東に暮らす余家麟の兄に連絡を取ったことがある、と明かした。
「お兄さんは『家麟とは半世紀も連絡を取っていない』と話していたんです。だから余家麟一家の情報は、日本から連絡があるまで何も持っていなかった。女優として活躍するお孫さんがいるのは本当に驚きで、余一族の誇りです」
台湾に余姓の一族は桃園だけで500人、台湾全体では9万人がいるという。余貴美子の先祖の系譜によれば、清朝の乾隆帝のころ、第11代の余家の先祖が広東省から台湾に渡ってきていた。
番組では、スタッフが「官平村」と名前を変えた鎮平村を訪ね、余貴美子の遠い親戚にあたる人々が、余貴美子の成功を祝って祈祷するシーンがあった。余貴美子は特にこのシーンに涙を流した。
「会ったこともない人たちが私のために祈っている。とても驚きましたし、客家の血を引く喜びを感じて、その誇りを持って生きていこうと。私の中で、客家人という感覚が、何なんでしょうか、急速に、突然、やってきたんです」