「社会党の大敗から、日本新党の細川氏を旗印に、多弱の野党が結集していった。都議選後に起きるのもまず野党第一党・民進党の混乱と解体でしょう。小池氏はあのときの経験から、日本新党のような核があれば盤石に見えた権力をひっくり返せることを、身をもって学んでいる」(野上氏)
なお、総選挙の1か月前に行なわれた都議選で日本新党が第三党に躍進したことが、その後の流れを決定づけたともいわれている。
◆野田聖子を担ぎ出す
現在、国政では、まさに小池氏が掲げた「旗印」に野党が集まりつつある。「情報公開」を東京大改革の柱に掲げる小池氏は、加計問題の「怪文書」騒動を受けて、6月定例都議会に「公文書の管理徹底条例」を提出して成立させた。
「国会でも『文書があるのないの』とかに注目がいっている。基本的に記録は残す。重要な文書を破棄する場合は他部署が関与するダブルチェックで廃棄する」
情報隠しに走る安倍政権をそう痛烈に批判した。そんな小池氏と連動するように終盤国会では、野党4党が公文書管理法改正案を提出。成立はしなかったものの、野党各党が小池氏の政策を新たな結集軸と見なしていることがわかる。
1993年政変で細川政権への流れを決定づけたのは、自民党の政権批判派が野党結集に参加したことだった。「安倍一強」の自民党内でも、「反アベノミクス勉強会」に石破茂氏、野田聖子氏ら約60人が参加し、物言えなかった反安倍勢力がようやく動き出した。