会場となった日暮里駅東口には、黒山の人だかりができ、山口の演説に熱狂する。地元、荒川に根を下ろす公明党支持者だろうか。皆、特段の特徴もない、まさしく「大衆」と呼ぶに相応しい市井の人々である。
社会学者・鈴木広が1960年代に福岡県における学会員の素性を調査し、彼らを「都市下層」と評したのは有名である。敗戦の混乱期を乗り越え、1950年代中盤以降、農村部から大量に大都市に流入してきた零細商工自営業者、工場労働者などの、地縁や人脈を持たない孤独な農村出身の低所得者を中心に学会員が広がりを見せている、とした。
事実、そのような「都市下層」を主力として、政治の世界に進出した公明党は、都下において大田区、荒川区、足立区、板橋区、江戸川区、江東区、葛飾区、北区など、如何にも高度成長時代に町工場を中心とした零細製造業が多く立地する所謂「下町」に伝統的牙城を築いている。前述の慶野候補は、そういった学会と公明党の中心軸を体現する、まさに古典的ともいえる候補であった。
◆いつしか「体制」の側に
しかし、高度成長が終わってもう半世紀近くがたつ。当初、農村からやってきた「都市下層」の彼らは、下町に根を張り、日本全体の経済成長と軌を一にするように生活水準をボトムアップさせてきた。現在の学会員や公明党支持者は、慶野候補がそうであるようにもはや成長の第一世代ではなく、その子供たちの世代、つまり二世であり、場合によっては三世である。事実、荒川の氾濫原として高度成長時代に不良住宅がひしめき、日雇い労働者の街が形成されていた千住一帯を歩くと、往時の「下町」の雰囲気は綺麗に消し飛んで、再開発が著しい。