「1981年、映画『白日夢』で話題になった愛染恭子の出演が最大のヒットで、145人収容の劇場に1日最高1400人を記録しました」(齋藤会長)
だが、1970年代に入ると逆風が吹き始める。ピンク映画や日活ロマンポルノ、新たな風俗業の勃興によってストリップ人気は衰退した。
経営危機の瀬戸際に立たされたロック座を救ったのは、1972年に経営権を引き継いだ、齋藤会長の母にして現役の人気ストリッパーだった齋藤智恵子。40年以上の付き合いだった女優・浅香光代が語る。
「浅草じゃ“齋藤ママ”を知らない人はいませんよ。現役ストリッパーなのに劇場経営もピカイチ。齋藤ママの舞台は美しく、ショーの質が高いからロック座だけが残った。浅草の宝ですよ」
齋藤は精力的に全国展開を進め、最盛期には20か所以上の系列劇場を持つまでになった。熾烈な駆け引きも必要とする興行を続けることができたのは、男勝りの度胸と気っ風のよさだった。
長年踊り子としてロック座の舞台に立ち、現在衣装を担当する平山寿恵さんは50年の付き合いがあった。
「千葉・船橋で地元のヤクザに寝込みを襲われて左肩に刀傷が残りました。だからといって、それで弱気になるような人ではありませんでした」