明治政府は在野の憲法構想については相当の関心を持ち、新聞雑誌等に発表されたものはもちろん、非公開の研究草案や意見書に至るまで、警察情報網を使って収集に努め、研究したというが、実際の憲法に私擬憲法の内容が反映されたとは言い難い。
日本にルソーを紹介した民権派の代表的理論家であり、『大東亜論』の主人公・頭山満とは生涯の友人だった中江兆民は、明治憲法の全文を通読して「ただ苦笑するのみ」だったという。
兆民が特に不満に思ったのは、議会の権能が極めて弱いところだった。兆民は弟子の幸徳秋水に、明治憲法に対する見解をこう語っている。
「このようではわが議会は民権伸張の機関たるの役割をはたすことができないだけでなく、将来、政府の奴隷になってしまうだけだ。内閣の爪牙となって人民を圧迫するだけだ、堕落腐敗してしまうだけだ、われわれはただちに憲法の改正を要請しなければならない」
なんだか「安倍一強」の時の政権と議会の関係性について言っているようにも思えてしまうが、それはともかく明治憲法には、薩長藩閥政府が自分たちの専制をできる限り維持したいという意図が入っていたことは間違いなく、これを現在に復活させようなどとは、論外としか言いようがない。
民主主義の思想自体は西洋からの輸入品ではなく、「五箇条の御誓文」にもその精神は盛り込まれているのだが、近代憲法という制度は確かに西洋に学んだものである。
憲法とはいかなるものかを一から学んで憲法を作ったとなると、ものすごい時間がかかったのではないかと思うのだが、ところが実際には、明治維新からたったの十数年で、民間において数多くの私擬憲法が作られている。この明治人の知識の吸収力、応用力には驚くばかりである。