◆「賊軍合祀」は是か非か
あるいは、いわゆる「賊軍合祀」を巡る問題。今の徳川康久宮司のもとで、戊辰戦争の時の旧幕府軍の戦没者の霊が、靖国神社の伝統を逸脱して合祀されるのではないかという懸念が表明されています。もしそれが実現したら、確かに靖国神社は決定的に「変質」するでしょう。
しかし、そんなことがなされるとは、にわかには考えられません。言うまでもなく合祀基準に合致しないし、今からそれらの戦没者の氏名を特定することすら、現実的には至難でしょう。関係者の話をうかがう限り、到底ありえません。
著者は、「靖国神社は宗教法人で単立の神社だから、これまでの伝統も経緯も無視して宮司の一存で法的には何でもできる」という危機感を訴えます。ならば同じ条件の伊勢の神宮などについても、同様の危機感を持っているのでしょうか。
本書では、伊勢の神宮では「(憂慮すべき)事態は絶対に起こらない」と記しています。伊勢の神宮は心配がなくて、靖国神社だけ心配なのでしょうか。靖国神社だけ、宮司が伝統無視のワンマンで、周囲も無能無力なイエスマンばかりというかなり失礼な前提でももうけないと、説得力に欠けるように思えます。
また、いわゆるA級戦犯の合祀についても、読者は靖国神社があたかもBC級戦犯の合祀とは違った扱いをしたかのような印象を抱くのではないでしょうか。しかも合祀の事実が明らかになってから何年も、中国や韓国からの抗議は一切なく、国内も比較的平静に経過した事実も、本書では取り上げられていません。
このA級合祀問題の「後出しジャンケン」的な不可解な展開こそが、「靖国の公共性」にとっても重要な意味を持つはずの首相の靖国参拝中断に直接関わっているだけに、この方面に無関心なのも、私には意図がよく分かりません。
著者は恐らく善意で、「靖国の公共性」が「内部から消える」のを危ぶんでいるようです。しかし果たして、その見立てがどれだけ共感を呼ぶでしょうか。