さっき、何もしなくてよかった。形式的に身分証をチェックされただけで、お咎めなしの釈放である。
「けんさだぞ。けんさー」
むしろ気になったのは、公安の背後でだらしなく声を上げる十数人の若い男たちだった。執勤(ヂーチン)と書かれたベストに黒い制服。だが、プロの治安関係者とは到底思えない締まりのない顔が揃う。
店を出てから再び様子を見ると、先ほどの彼らは周囲にたむろする若者とスマホで遊んでおり、上司格の公安職員にどやしつけられていた。
「執勤は、口入れ屋を通じて公安局の下働きをする短期雇用の民間人だ。雇用期間が終われば、街にいる失業者の群れに逆戻りさ」
現地で配車業を営む男性はそう語る。男も女も、捕まえる側も捕まえられる側も、この街に蠢くのは全員が同じような階層の人々ばかりであった──。
深センは中国ナンバーワンの金持ち都市だ。近年はアジア有数のイノベーション拠点としても台頭が著しい。だが、郊外には短期労働者のスラムが点在する。
シャープを買収した鴻海や格安スマホで有名なZTEなど、名だたる電子機器メーカーの工場労働を目的に、地方出身の出稼ぎ者が集まるためだ。なかでも龍華新区は職業斡旋所が集中し、人々の間ではある斡旋所の名を取って「三和」と呼び慣らわされている。