1990年代は選挙制度が大きく変わったことをきっかけに、戦後55年体制が崩れ、政権交代が起きた。思想史研究家の片山杜秀氏と、元外交官・作家の佐藤優氏が、曖昧な存在を許さず、窮屈な社会になっていった1990年代の日本を振り返った。
佐藤:一昨年、元少年Aが書いた『絶歌』が話題になりました。今年は1997年の酒鬼薔薇事件(※1997年3月~5月、14歳の少年が神戸市須磨区で2人の小学生を殺害)からちょうど20年です。
片山:酒鬼薔薇事件はライター仕事でも扱ったのでよく覚えています。とはいえ、私は時代や社会の変化を示す事件だとは、当時は必ずしも思わなかったですね。
佐藤:ただ知的障害児を殺害したという面ではそれまでのいたずら目的の犯罪とはまったく違った。いまでいえば、反社会性パーソナリティの犯罪です。『絶歌』を読むとまだ治療が終わっていないのがよく分かる。
片山:そうですね。あの事件の頃から精神分析が前面に出てきた感じもします。心理学から精神病理学に時代が進んだ。犯罪者に限らず人間は誰もが未成熟で幼児性を抱えていて、精神分析医の治療対象であると。これはとてもアメリカ的と思うのですが。教会の神父や牧師の代わりがカウンセラーになる社会ですね。何が起きても心の治療とケアが大切だという。ついにはアメリカ大統領のビル・クリントンまでアダルトチルドレンと告白してしまった(笑)。
佐藤:最近では日本の政治家も価値観や思想より、幼児性や未成熟を問われる場面が増えました。資質がない変な政治家が大量に生み出される原因が、1996年10月からはじまった小選挙区比例代表並立制選挙です。この年が、政治構造における最大の転換期といってもいい。