しかし、その後、深センに進出した中国の通信機器メーカー・ファーウェイ(華為技術)や台湾のEMS(電子機器受託生産)企業・鴻海精密工業傘下のフォックスコン(鴻海科技集団/富士康科技集団)などが1990年代後半から急成長し、それに伴って深センも目覚ましく発展した。たとえばフォックスコンが100万人もの労働者を雇用するなど、“世界の工場”中国を象徴する都市になったのである。
さらに2000年頃にファーウェイを訪問した時は、研究開発に大々的な投資をしたり、社員のためにアメリカ風の住宅を会社の敷地内に整備したりしていることを知って大いに驚いた。私はかつて本連載の中で「もし、中国から世界的なブランドが出てくるとしたらファーウェイ」と予言したが、その通りになった。
その後も私は、中国と欧州委員会が合同で設立した国際ビジネススクール「中欧国際工商学院(CEIBS)」の講演などで深センを訪れたが、常に国内外から人材を集めてIT関連の起業やインキュベーションの拠点になることによって労働集約型産業から知識集約型産業に進化することを目指し、市を挙げて積極的な取り組みを続けていた。
それと同時に都市インフラもどんどん整備されていった。広い道路が縦横に走り、街路樹も増えて杜の都のような景観になった。21世紀のハイテク・起業拠点にふさわしい摩天楼が林立する街並みは、今や未来都市のような様相を呈している。ゴミ溜めみたいだった貧しい町が、世界有数の最先端IT都市へと大変貌を遂げたのである。
そしてついに深センは、早ければ今年、遅くとも来年にはGDPで香港を抜くと予想されている。経済開放特区に指定されてから、わずか35年余り。これは画期的なことである。トウ小平は墓の中で小躍りして喜んでいるに違いない。