いかがだろうか。次の選挙で当選することしか頭にない、「議員であり続けること」を最重要課題とする今の政治屋たちには決して紡ぐことのできない言葉である。アメリカがわが世の春を謳歌していた時代にありながら犠牲を求める。繁栄と自己満足にひたっていたアメリカ国民に、冷戦という現実の厳しさを心得ながらも、知られざる未来に立ち向かっていく決意を抱かせたのだ。
そしてケネディは国民に求めるだけでなく、こう続けた。
「最後に、あなた方がアメリカ市民であろうと世界の市民であろうと、われわれがあなた方に求めると同じ高い水準の強さと犠牲を、われわれにも求めてもらいたい」
自分のすべてをアメリカという国家、理想とする世界のために捧げるという宣言に他ならない。これが本物の政治家(ステーツマン)というものだ。“お友達”が経営している森友学園や加計学園に便宜を図ったのではないかと国民が疑念を抱いている安倍のような政治屋(ポリティシャン)とは似て非なるものだ。
ステーツマンは理想や良心によって行動する。票がほしくて動くのではない。1960年10月19日、ジョージア州アトランタで仲間52人とデパートのレストランで座り込みをしていたキング牧師が逮捕された。
5日後、52人の仲間は釈放されたが、キング牧師だけは4か月の重労働の刑を科され州立刑務所に移送された。刑務所内で白人の服役囚にリンチされるか、看守によって殺されるか、いずれにせよキング牧師に生命の危機が迫っていた。