大統領選挙戦の最中にあったケネディとニクソンの姿勢は対照的だった。南部の白人票を失うのを恐れたニクソンはノー・コメント、ノー・リアクションを貫いた。一方、ケネディは白人票を意識する支援者たちから人種問題には介入しないよう警告を受けていたが、躊躇せず、良心に従って行動した。
彼は遊説先のシカゴのホテルから直接キング牧師の妻コレッタ・キングに電話を入れ、事態を非常に憂慮しており、できる限りのことをすると約束したのだ。
翌日、弟のロバート(ボビー)・ケネディが有罪判決を言い渡した判事に電話を入れ、キングを即刻釈放するよう説得した。かなり強引に説得したのだろう、キング牧師は即日釈放された。この一件で、それまでニクソンを支持していた黒人層の気持ちは変わった。キング牧師の父親はケネディ支持に立場を変えたことをこう語っている。
「なぜならあの人(ケネディ)は、私の娘(キング夫人)が泣いている時その涙を拭い、苦しみを分かち合ってくれたからだ」(セオドアー・ホワイト著『ザ・メイキング・オブ・ザ・プレズィデント1960』)
票が欲しくて行動したわけではない。だが、結果的に黒人票が雪崩を打ってケネディ支持に回り、彼が大統領となる重要な要素のひとつとなった。理念を持って行動したケネディは、ツイッターで罵詈雑言を吐いて憎しみを煽るトランプとは対極にある。
ケネディのステーツマンとしての覚悟が現れた象徴的な発言が、いわゆる“公民権スピーチ”だ。1963年6月11日、ケネディはホワイトハウスの執務室から全米に向けてスピーチを行った。