榎本が乗ったオランダ製の江戸幕府最強の軍艦・開陽丸(排水量2590トン)は、現在、渡島半島西部の漁町・北海道江差町に実物大で復元され、引き揚げられた実際の遺物とともに展示されている。
蝦夷共和国建国という一見すると頓狂な榎本の建国計画を支えた力の源泉こそこの開陽丸である。新政府軍は戊辰の役にて、佐幕派の奥羽越列藩同盟を陸戦で制していたが、海上兵力では依然、幕府側が薩長を圧倒していた。
榎本の蝦夷共和国構想は、伊達や酔狂の世迷言ではなく、開陽丸という海軍力を担保としたものだったが、渡島半島江差沖に廻航された開陽丸は1868年11月15日、暴風雨により浅瀬に乗り上げて座礁、沈没する。開陽丸の損失は榎本軍の敗北とイコールであり、蝦夷共和国構想は幻と消えたわけである。これにより土方も死に、辺境の騒乱は一掃された。明治国家が徳川幕藩体制というアンシャンレジューム(旧体制)を最終的に打ち破った最果ての地こそが、この箱館であった。
函館は、なにも幕末の動乱のみで注目される地方都市ではない。2016年、全道民540万人の悲願でもあった「北海道新幹線」が青森から延伸されると、函館の北にある北斗市に「新函館北斗駅」が開設され、東京駅まで最短4時間2分という時間で結んだ。
かくいう私は、生まれも育ちも北海道であり、この「新幹線開通」は幼少の時分から札幌市役所に掲げられた「北海道新幹線実現熱望!」の横断幕とともに、DNAのレベルまで染みついたスローガンだったのだから、たとえそれが北海道南端に一寸手をかけるレベルであろうとも、何か万感の思いを感じざるを得ない。
しかしながら、東京から4時間超掛かる新幹線よりも、空路1時間20分を選ぶ旅行者の方が多いことは疑いようもない。北海道新幹線の最終目的地は札幌だが、実現が何時になるかもわからない現在、その経済効果は疑問符が付く。