「当時薩軍の野戦病院は百十余りあったのですが、ここはその第2号でした。いいお医者さんがそろった、いわば中央病院になっておりまして、北部の戦場で負傷した方々もここに運ばれて手当てを受けていたようです」
そして各地の戦死者が運ばれてくる墓地でもあった。
「私が子供の頃は、薩州墓と呼んでました。墓石は大部分遺族の方がとりに来られたのですが、今も少し残ってますよ」
大正5年に合同墓碑が建てられ毎年4月に慰霊祭を行うようになり、百回目の一昨年、埋葬者の名前を入れた碑が建立されたのだが、その際参考にしたのは薩軍が残した名簿である。
「私が襖の張り替えをしていた時に見つかったんです。下張り紙になってました」
日付と姓名が墨書されたボロボロの紙を見せていただいた。貴重な資料だ。
「……あなた、国民の祝日に、日の丸立てますか?」
突然の問いに戸惑っていると、
「この町であまり立てるとこはありませんが、毎年4月の慰霊祭の日には40本くらい旗が立ちますよ。旗を立てて下さった家には、さつま揚げをお配りしてます」