慰霊祭には自衛隊の吹奏楽団が来るという。薩軍の戦死者はここでは手厚く弔われているようだ。去り際にちらと奥の間を覗くと、西郷隆盛の肖像と「敬天愛人」の額が掲げられていた。
埋葬者の碑の文末には熊本三州会会長・柏木明氏の歌が添えられている。
春巡り延寿の庭に眠りいて
夜毎夢見む故郷の山
◆桜島を見ながら
この歌を心の片隅に置いて、彼らの故郷、鹿児島に向かった。熊本城をめぐる戦いの趨勢が決すると、薩軍は宮崎方面に転戦し、次第に追いつめられてゆく。
和田越(宮崎県延岡市)の決戦ではついに西郷自ら陣頭指揮を執ったが大勢は覆せない。8月16日、西郷は軍に解散令を出した。その後は少数の精鋭を従え、政府軍をかわして鹿児島へ戻ってくるのである。
しかし鹿児島はすでに政府軍の手に落ちている。これを猛襲して部分的に奪還し、城山を中心に布陣する。政府軍は慎重に慎重を重ねて増援部隊を送りこみ、5万~6万の大軍に膨れ上がる。薩摩軍は400名足らず。敗戦は時間の問題だ。
鹿児島中央駅から歩き始める。どうしても薩軍に感情移入してしまう。全てが近いのだ。加治屋町の西郷さん生誕の地も、無数の弾痕が残る私学校跡も、鶴丸城も、照国神社も、それらの背後に短く横たわる城山も、徒歩20、30分圏内。小学校高学年レベルの行動半径におさまる。