自然遊歩道を登って城山の展望台(107m)に立つと、ついさっき歩いてきた大通りや照国神社の鳥居がすぐ下に見える。そして錦江湾を挟んでこの町を見守る桜島の雄大な稜線。
地元感が半端ではなく、負けてたまるか、と口惜しくなってくる。7か月ぶりに故郷に戻った薩軍の士気が燃え上がったのは想像に難くない。
薩軍の本陣跡は展望台からさらに山の中へ入ったところにあった。西(南西か)に尾根筋が延び、当時の写真を見ると今ほど木々がないから、鹿児島の町も反対側も一望できただろう。ここから西郷が籠もった洞窟へ向かう道は、城山の裏側を降りてゆく形になる。
もう鹿児島の町も桜島も見えない。追いつめられてゆく。左右を山に挟まれた岩崎谷を歩くこと10分。急峻な山を背に立つ、ややぶかっこうな「せごどん」像の先に、二つ並んだ小さな穴がある。大男の西郷がこんなちっぽけな洞窟に潜んでいたとは。
9月24日の明け方、政府軍は事前に予告した上で総攻撃を開始した。薩軍の堡塁は次々に落ちる。洞窟前に集結した桐野利秋、別府晋介ら四十数名が西郷を囲んで突撃に出る。弾丸雨飛の中、1kmも行かないうちに西郷が被弾。
「晋どん、もうここでよかろ」そう言うと西郷は東を向いて座り手を合わせた。別府晋介がその首を刎ね、自刃して後を追う。
その朝を想い、洞窟から終焉の地まで900mほどの道をとぼとぼと歩いていた私は、最後の100mで生じた景色の変化に目を奪われた。視野を狭めていた城山が途切れ、つまり谷間は終わり、建物の向こうに桜島が見えたのだ。