なかでも一番過酷だったのは、『ニュージーランドの若大将』(1969年)で、ニュージーランド最高峰マウント・クックの氷河を滑った時だった。スキーで国体に出場経験があるほど上級者の加山ですら足が震えたという。
「山頂まで飛行機とヘリコプターを乗り継いで登り、頂上から氷河の上を滑りました。これってクレバスじゃないか? と思って雪の上をストックで軽く突いたら雪の塊がボーンと下に落ちて、200mくらいの割れ目がぼっかりと現われた。落ちたら終わりだと思いながら、クレバスの上を割れ目に対して直角に滑りました。無茶ですよねぇ」
『南太平洋の若大将』(1967年)では、南国タヒチの海で水中撮影に挑んだ。
「水深40mで酸素ボンベを外してから水面に浮上していくシーンがあって、5m浮上するたびに胸が破裂しそうになるんです。水圧の変化で肺破裂の危険があったというのは後で知ったけれど、そんなことは誰も教えてくれないし初めての経験ですからね。とっさの判断でヤバいと思って空気を吐きながら上がった。人に言うとバカだなぁといわれるけど、怖かったですね」
“歌手・加山雄三”の地位を不動のものにしたのも若大将だった。
「映画の中で歌った曲はみんな売れちゃう。今考えてみたら、若大将っていう作品は、僕の音楽をヒットさせてくれたプロモーションビデオなんですよ(笑い)。映画で僕が作った音楽を流してくれるなんて、こんなに恵まれた話はないですよね」