僕も31歳となり、若い人に「仕事ないですか?」と聞かれる機会も増えた。「なにかあればね、紹介するよ」と返す。
しかし、本音は「無理!」
逆の立場だった頃「紹介するよ」というフレーズに、どれほど期待を寄せたか。また、先人同様に若者の熱意を茶で濁すとも思わなかった。
無下に断れない末の優しい嘘、言い訳だが。
しかし、泰葉さんは嘘をつかない。
「大銀座落語祭」の演目、「林家正蔵の手話落語」と「林家いっ平(現・林家三平)の中国語落語」その舞台会場で配られる演目解説プリントをデザインする仕事を斡旋。
僕のデザイナーとしての初めての仕事である。イベント終了後、泰葉さんから「良いデザインありがとう」と電話。こんな末端の人間まで気をつかう心意気よ。
その難しさ、当時は分からなかったが、今なら分かる。
2007年11月。
テレビを見ていると泰葉さんが映った。帝国ホテルの宴会場、金屏風前で離婚会見。報道で以前から知っていたので、驚くことはない。嬉々と話す泰葉さんと「夫婦関係から援助交際に変わった」と話す、春風亭小朝の目の鋭さが印象的にのこった。
当初、両人は円満離婚を謳った。しかし、時間の経過とともに泰葉さんはメディアで夫婦関係のホントを激白。
「金髪ブタ野郎」
有吉弘行より以前に、見事なアダ名芸を披露した。
2008年初夏、泰葉さんに呼び出される。場所は、慰謝料で買ったという渋谷の高級マンション。僕の人生、最初で最期の億ションとの触れ合い。
一通り雑談をし、切り出されたのは、歌手活動の再開と楽曲制作の話。泰葉さんはピアノの前に座り、ワンフレーズを弾き「こんな曲になるんだ」と話す。
美しい旋律に酔っていると「で、ジャケットのイラストはヒロム君にお願いしようと思うの!」と突飛な仕事依頼。想像もしてない要望に驚きつつ、願ってもないチャンスにときめく。