角界が揺れる中、「謎のスー女」こと相撲女子の尾崎しのぶ氏が、相撲コラムを週刊ポストで執筆中。相撲界は今でもスカウトでこの業界の門を叩く者が珍しくないが、中には素晴らしい目を持ったスカウトもいる。尾崎氏がつづる。
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年末のあいさつをしに親類がいる六郷に行く。走り回ってワアワア遊んでいる子供たちが都心よりも多く見られ、いつもおどろかされる。その中に大きめの少年がいると「竹村さんだったら目をつけるかな、そうでもないかな」と思う。
一九七七年、のちに北勝力(現谷川親方)となる英樹少年は木村一男・ハル子夫妻の次男として大田区六郷に生まれた。釣りやザリガニ取り、夏には花火と、自宅の目の前を流れる多摩川を満喫。両親の故郷である栃木県那須郡黒羽町にも頻繁に行き、川遊びを楽しんだ(出身地も那須としている)。
那須の澄んだ川と多摩川を交互に見ながらすくすくと育ち野球チームで活動する(柔道部にも所属していたが、勝ったことがないしルールも知らなかった)。牛乳は一リットルを一気飲み、焼き肉をすればご飯を一升平らげる。中学校の制服は二年時には入らなくなり作り直した。
そんな中学二年の夏、近所の銭湯・相模湯で「いい体しているね、相撲やってみないか」と声をかけられる。その人は竹村源英と名乗った。建築業を営んでいて、九重部屋と親しい関係だという。
「お相撲さんになったら両親のために田舎に家を建ててあげられる」と聞かされた英樹少年は風呂から上がる前に「やります」と答えたのだが、進学させたいと思っていた両親は反対した。しかし竹村氏に「若の富士、大富士、孝乃富士と、私がスカウトした人は全員関取になっています。息子さんは大きくなる。必ず関取になれますから」と説得されてしまった。