物事の分別もつかないうちに、悪意にあふれた大人たちと関わってしまったことが、児童たちの人格形成にどのような影響を及ぼすのか。児童ポルノの単純所有者たちが漏らす「なぜ持っているだけで悪いのか」という言葉は、この児童たちを攻撃していることに他ならない。いっときの欲望の赴くままに、児童ポルノにのめり込んでゆく当事者たちの罪の意識の薄さは、世間全般の無関心に支えられているのではないか。
このような一人一人の意識の低さが、我が国は「児童ポルノ事件」に関心が低い、と指摘される原因になっているのではないか。他人事なら関係ない、というのが現代の風潮ではある。しかし、声すらあげることができない弱者を尻目に知らんぷりをしているようであれば、それこそ、この国は動物的な屈強さだけに支配された、恥ずかしい獣の国家になってしまう。弱者が食い物にされ卑怯で醜悪な者たちがのさばるのを、そのままにしてよいのか。今こそ、児童ポルノを製造しない、持たない、許さないという、断固とした決意を、国民一人一人が持ち始めるべきだと、強く感じるのである。