「この阿呆めが。女を見るならまず胸をというのが鉄則ではないか」
1000を超える文献を調べ上げ、『巨乳の誕生』(太田出版)を上梓した安田理央氏によれば、ルイ15世はオーストリアから息子のためにマリー・アントワネットを迎える時、胸の大きさを確認しなかった秘書官をこう怒鳴り飛ばしたという。歴史が証明するように、世界ではすでに17世紀から大きな胸に対する価値が高かったが、意外にも日本では重視されていなかった。
「江戸時代の春画は男女の生殖器ばかりに焦点を当て、乳房はほとんど描かれていません。性的興奮を掻き立てられる部位ではなかったのです」(安田理央氏。以下「」内はすべて同氏)
日本社会において“胸”が意識され始めたのは第2次世界大戦後、欧米文化が流入してからだ。
「1952年公開の『ならず者』(米国1943年公開)に主演したジェーン・ラッセルの肉体美に多くの日本男児が圧倒され、『肉体女優』という言葉が生まれました。その後、1956年に前田通子が新東宝の映画『女真珠王の復讐』で、日本映画史上初めてヌードを披露。翌年には、日活が筑波久子、松竹が泉京子を“肉体派”として売り出していった。同じ時期に『グラマー』という表現が頻出し始めます」
1967年、人気深夜番組『11PM』で司会の大橋巨泉が朝丘雪路の胸を「ボイン」と番組内で呼ぶ。2年後、月亭可朝が『嘆きのボイン』という歌を発売し、売り上げ80万枚を記録。「ボイン」は子供たちにまで広がる流行語となった。