例えばアメリカのコメディドラマの多くは、舞台となる空間がリアルで町並も会社も家庭も家族のキャラクターもきちんと現実感があり、詳細まで作り込まれています。その土台へ、あり得ない唐突な出来事や奇妙な人物といったいわば「虚構」が挿入されていく面白さがある。やはりアメリカのクリエイティブの基本には、映画作りのDNAが息づいているのかもしれません。
かたや、この『コンフィデンスマンJP』には、アメリカ作品のように土台に周到なリアリテイの追求をするよりも、むしろ場面場面を次々に出現させては着せ替えていく展開力の面白さが際立っています。
視聴者側も、お約束ごととして了解し「とりあえずここは賭博場ね」「マニラの屋台か」「飛行機の上からパラシュートで飛び降りるんだ」と、仮説としての場面設定を受け入れて楽しむ。
「リアリティがない」「ウソ臭い」といった批評的な視線ではなく、変転していく軽やかな寸劇に身を委ねて味わう。そのノリはまるで小劇場かお笑いライブのワンシーン。カリカチュアされた場面ごとに場が成立し笑いが生まれ、コント劇が連綿とつながっていくようなスタイルです。
『コンフィデンスマンJP』というこの作品は、もしかしたら日本で独自発達を遂げたそうしたコメディドラマのスタイルが、まさに頂点に上り詰めようとしている成果かもしれません。
とはいえ、ドラマはまだ始まったばかり。このコメディがいったいどこまで完成度を高め極めていくのか、ワクワクしながら見届けたいと思います。