芸能

少年から青年へ… 西城秀樹さんの「歌」を支えた人々の思い

西城秀樹さんの「歌」を支えた人々の思いとは(写真:時事通信フォト)

 5月16日、『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』などの国民的大ヒット曲を生んだ歌手の西城秀樹さんが63歳で永眠した。西城さんは間違いなく、超一流のエンターテイナーだった。一方で、裏方として彼の魅力を引き出した作家陣やスタッフがいたことも忘れてはならないだろう。

 1970年代、日本歌謡界に“アイドル”と呼ばれる歌手たちが誕生した。ティーンエイジャーでデビューする彼らの楽曲は、職業作家が担当していた。曲が売れるか否かは、作家がアイドル歌手の魅力を引き出せるかにも大きな比重が占められていた。

 17歳を迎える直前の1972年3月に歌手デビューした西城さんは、翌1973年5月発売の『情熱の嵐』(作詞・たかたかし、作曲・鈴木邦彦)で人気が爆発。その後も『激しい恋』『傷だらけのローラ』などヒット曲を連発し、1974年頃から郷ひろみ、野口五郎とともに『新御三家』と呼ばれるようになる。

 しかし、芸能界は一寸先は闇。昨日までの人気者が明日どうなっているかがわからない。いつまでも、同じような歌を歌い続ければ人気が落ちてしまう。

 1972年に3枚、1973、1974年に各4枚、1975年に5枚と、ハイペースでシングルを量産していた西城さんは、新曲を出す度に今までにない魅力を創出する必要があった。1曲1曲が勝負だったのである。

 スタッフは、西城さんが21歳になる1976年に、作詞を阿久悠さん、作曲を三木たかしさんに任せようと決意する。それまでにない“ヒデキ像”を2人に託したのだ。阿久さんは『歌謡曲の時代』(新潮文庫)でこう綴っている。

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