田中氏は体育会という基盤があったからこそ、出世の階段を上れたとみるのだ。別の大学関係者もいう。
「保健体育審議会はどのように運営されているか、他の教員にはよくわからない。かつて審議会に初めて出た教授によると、その予算規模は実に年間40億~50億円。教員や監督の人件費を加味すると、おそらく全体で70億円近くはあるだろうと驚いていました。一つの学部よりも規模の大きい“独立王国”です」(日大広報に確認すると、「個別の予算規模はお答えできません」と回答)
いまは田中理事長によって引き上げられたアメフト部前監督の内田正人氏が、この審議会の事務局長を務めているという事実を改めて確認しておきたい。ここに至るまでに田中氏は熾烈な学内競争も勝ち抜いてきた。
「瀬在氏が競わせるように重用し、同時に常務理事に取り立てられた職員がいました。ただ、2005年に田中氏がナンバー2として実権を握った後、このライバル職員は本部2階の窓のない資料庫の整理係に異動となり、最後は稲城の総合グラウンドの守衛に追いやられた」
そうして田中氏は2008年、ついに理事長に就任し昨年9月には4選を果たした。配下で動いたアメフト部監督(当時)の内田氏は、常務理事にまで引き上げた。田中氏を出世街道に乗せ、田中-内田体制の“産みの親”ともいえる瀬在元総長に直撃すると、こう憂いを口にした。