日々の生活の足となり、仕事道具となるなど、長い年月を車とともに過ごしてきた高齢ドライバーが、運転をやめたり免許返納を迫られている。そんな社会の流れに従う人、抗う人はどんな感情を抱いているのだろうか。芥川賞作家の高橋三千綱氏(70)に聞いた。
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車なんて考えて買うものじゃなくて、フラっと入った店(ディーラー)で縁があったものに乗るだけ。今、乗ってる車の名前も覚えてないよ。え、プリウスだっけ?
免許をとったのもたまたまだね。30歳くらいの頃に妻が免許を取りたいって言うから、僕が代わりに教習所に調べに行ってたら、そのまま通うことになって、なんとなく僕が取っちゃった。今も頻繁に乗っているわけじゃないし、急に乗れないってなっても困らないな。
免許返納って、運転技術の低下とか老化とかの象徴のように見られることもある。だから、返納することは恥だとか、「人生のある時代の終わりだ」とかのたまう奴がいるよ。免許を持ってるのが男の「誇り」だとかさ。そんな考えは無駄なものだね。男の誇りって、「女の子に優しくできること」以外はなんにもない。
ただ、「顔写真付きで、証明できるものありますか」って不意に聞かれることがあるんだよ、公共機関とかで。そんなとき使える証明書が免許。僕にとっては、証明書としての役割は大きい。自分を証明するもので、財布にポンっと入っているものって意外とないんだよ。妻が「70歳になれば返納する」って知った時も、運転できなくなる、ってことよりも、証明書が無くなるけどいいの? って思ったくらい。
最近は返納すると「運転経歴証明書」なるものが、もらえるらしいね。免許と同じ効力を発揮するのかねえ。