何か用事があって、急ぎ足で通りを歩いていたところ、子どもが1人泣いているのに出くわしたとしよう。その子どもに声をかけてやりたいが、その時間がない。そこで、ストーリー化をする。
「あの子は、きっと、親とはぐれて迷子になっているのに違いない。誰か、親切な人に話せば、交番に連れて行ってもらって、じきに親と再会できるだろう。幸い、この通りには、多くの人が歩いている。自分が声をかけなくても、誰かが声をかけて交番に連れて行ってくれるはずだ。まぁ何とか、なるだろう」
このように、都合のいい言い訳を考えついて、その場を立ち去ってしまう。
(しかし、実際には、その子どもは何か異物を飲み込んでしまったために泣いていたのであり、すぐに病院に搬送して口から吐出する処置をしないと生命に危険が及ぶ事態だった、かもしれない)
このように、人はほとんど妄想ともいえるレベルで、大胆にストーリーを作ることができる。ただし、ストーリー化した情報が後で誤りとわかると、ショックや大きな後悔の原因になりかねない。
以上のことから、情報の受け手として、何かの情報に接したときには、どこまでが事実で、どこから先が作られたストーリーなのか、よく吟味する必要があるだろう。
一方、情報を発信する側にまわったときには、どこまでストーリー化をすべきか、よく考えなくてはならない。ストーリー化をし過ぎて、読み手に誤解を与えると、後で真相が明らかになったときに、自分の信用を大きく損ないかねないからだ。
ストーリーバイアスに気をつけて、情報のストーリー化はほどほどにすべきと思われるが、いかがだろうか。