渋谷系が日本の音楽シーンを席巻していた当時の韓国は、日本大衆文化の流入制限制度の時代。それでも、オシャレでやんちゃな中高生はどこからか音源を入手して、マイウォークマンにJ-POPをガンガン仕込んでいたといいます。LOONAの主な楽曲を提供している、新進気鋭のプロデューサーユニットMonoTreeは、まさに禁制J-POPを密かに聞いて感性を磨いた世代です。
作り手の”ワガママな創作意欲”を刺激しながらも、難解ではなく上質なポップ作品に仕立て上げるのは至難の技です。音楽の仕上がりだけでなく、映像とのマッチングや、ファンの心を捉えて離さないグループ全体のイメージ戦略も踏まえていなければなりません。
LOONAの作品群は、そうした前衛とプロフェッショナリズムの両立をクリアした稀有のものとなっています。その高いハードルを飛び越えられたのは、Blockberry Creativeに、作品を俯瞰的な位置から統括する「プロデューサーのプロデュース」ともいうべき、上位の指揮者が存在していたからです。
◆K-POP界にトータルイメージ戦略「A&R」を持ち込んだ男
LOONAの音楽とグループコンセプトの方向性を総合的にデザインしたのは、ジェイデン・ジョン(以下JJ)という人物です。
肩書は単なる「プロデューサー」ではなく、アーティストの発掘や育成、アルバム企画・制作・曲目管理などを指揮する「A&R」(Artists and Repertoire)という聞き慣れないものです。彼は、自分の肩書きについてこのように語っています。
「私は10代の時、趣味で音楽評論を書いていました。A&Rという概念も、求人もない時代のことです。(当時のK-POPの世界では)マネージャーがプロデューサーまで務めることがほとんどで、専業のプロデューサーでさえもない時だったのです。私はクインシー・ジョーンズがマイケル・ジャクソンを手がけた手法から、プロデューサーは単に曲を書くためにとどまらず、アーティストにビジョンを提示し、それを発展させることまでを請け負うのだと知りました。したがってアルバムごと、曲ごとにプロデューサーが異なる場合があり、そのプロデューサーを雇うこと自体がA&Rの仕事であると知ったのです」
人気ブロガーとして活躍したのち、2000年頃からフリーランスの音楽プロデューサーとして、BROWN EYED SOUL、神話などを手がけた後、JYPエンターテイメントに入社。念願のA&Rシステムの体系化に取り掛かります。そしてワンダーガールズの「Tell Me」を皮切りに、2PM、2AM、Miss AなどJYPのドル箱グループを成功させ、己の理論の正しさを証明してみせたのでした。
その後、WOOLIMエンターテイメントの理事に転じ、いくつもの人気グループを手がけます。なかでもLOVELYZに清純系のイメージを決定づけた「少女3部作」と呼ばれるデビューからの連作を企画した手際は、未だに語り草となるほど鮮やかでした。
2015年には再び独立。「Blockberry Creative」の巨額な資金を背景に、これまで培ったA&R業の総決算とも言えるLOONAプロジェクトの指揮官の地位についたというわけです。
「今月の少女(LOONA)は、LOVELYZで試した三部作の順次公開というプランを別の方法で形にしたものです。企画自体は、実は非常に昔に思いついたものでしたが、実現するだけの金銭的体力がある会社のオファーがくるまで寝かせていたものです」(JJ)
凝りに凝ったソロデビュー先行のギミックはもちろん、MVに謎めいた前世転生ものの裏設定を仕込んだり、それぞれのメンバー個々にイメージカラーや象徴動物を与えて個性を際立たせたりと、明らかにオーバースペックの、やりすぎ感すらある作り込みを徹底してしまうのは、いわばJJ氏のオタク気質の業のようなもの。
その好奇心と音楽好きの魂は今も10代のまま──もしかしたら、ウォークマンに禁制のJ-POP楽曲を詰め込んで、「ぼくがつくった世界さいきょうアイドルグループ」を妄想していたであろう厨二病のチョン・ビョンギくん(JJ氏の本名)の少年時代から、一ミリも変わっていないのかもしれません。
JJ氏が丹精込めて作り出したLOONAの上昇気流は、いずれイ代表の言う「ガールズグループの未踏の領域」にも達する大きな嵐に育っていくでしょう。不肖まつども「このまま月まで連れてって」とお願いしたくなるほど、ガッツリLOONA旋風に巻き込まれております。さあ、あなたも月旅行にご一緒しませんか?
(つっても、あたしゃ、高所恐怖症なんですけどね)